佐久間象山顕彰碑

西区野毛山公園内











「横浜開港の先覚者佐久間象山顕彰碑」








開国100年を記念して、1954(昭和29)年、建てられた顕彰碑



「安政元年1854年米国の使節ペリーが来朝のおり、松代藩軍議役として横浜村にいた佐久間象山先生は、当時の新思想家であり熱心な開港論者であった。先生は日本が世界の先進国から取り残されることとを憂い、幕府の要路に対しても、欧米諸国との通商交易の必要なことを献策した。また、その開港場として横浜が最適地であることを主張し、幕府に決断を促して、国際港都横浜の今日の発展の緒を作った。佐久間象山先生は、その後、京都に遊説中、攘夷派の刺客の凶刃のために木屋町三條で客死した。時に元治年1864年7月11日のことであった。本年はたまたま開国10年を記念すべき年に当る。](碑文)




1811−1864
朱子学者
1938 江戸に塾を開く。
蘭学、砲術を江川英竜に、オランダ語をシーボルトの弟子に学ぶ。
アヘン戦争(1840−42)により、ヨーロッパ諸国の強さを知り、海防策、開国通商を主張。
藩主、老中、幕府に、開国を献策。
1850年、江戸に西洋流砲術の講習会を開く。
弟子に、勝海舟、坂本龍馬、吉田松蔭。
1854−62年まで、松代に蟄居。
1864年、慶喜に招かれ、海陸御備向掛手付御雇として、京都へ行き、長州藩の攘夷の無謀を説き、公武合体を説く。そのため、攘夷派から暗殺される。








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