私のなかの横浜




1951年、横浜市鶴見区に生れた私は,現在関内で仕事をしている。




 

小学校低学年のときに「横浜」に遠足にいった記憶がある。

  そのころは、「港の見える丘公園」のある場所などは、草の生茂る荒れた空地であった。

  「元町」も、家具などを売っている外国人相手の街であったような気がする。

国電も桜木町までで、横浜駅東口が、港への表玄関だった。(桜木町から先は、バスを利用するか、市電を利用した。

  山下公園の前には米軍の将校クラブ、アメリカ領事館の建物があり、占領時代そのものであった。


  「本牧」は、米軍住宅地であり、周りをフェンスで囲われ、広い敷地内に住宅が点在し少年たちがそのなかでバスケットボールなどに興じている姿を外から見ると、まぶしい存在であった。


その後、横浜は急速に発展した。

特に、横浜駅西口の発展が目覚しかった。60年代後  半は、常に工事をしていて、完成する度にその規模が大きくなり、街が変っていった。