歴  史







THE ILLASTRATED LONDON NEWS
OCT.29,1864




1853-1899

<日米和親条約の締結>(1854)

  1853(嘉永6)年、アメリカの使節ペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀に来航。

  1854(安政1)年、日米和親条約を締結(日米和親条約締結の地)

ペリーが作成した海図(1854)

「神奈川宿歴史の道」は、開港当時の領事館跡などがある東海道神奈川宿の歴史散歩コース





<大老井伊直弼>

1858(安政5)年、大老井伊直弼は、ハリスとの間で日米修好通商条約を締結。


掃部山公園は、大老井伊直弼の出身である旧彦根藩の藩士らが、港の一望できる野毛の地を掃部山と名付け、開港50年に井伊直弼の銅像を建てたところ。






1859(安政6)年6月、横浜開港

居留地設置。

吉田橋・前田橋に関門が設けられ、内側が関内となる。

神奈川運上所開設

横浜・戸部・野毛の3か村、神奈川奉行の支配となり、横浜町を形成。




<生麦事件>(1862年)



生麦事件は、島津久光が、江戸城から薩摩へ帰る途中、神奈川宿に近い生麦(横浜市鶴見区生麦)で、馬で散策中のイギリス人4人と接触し、その家来が、殺傷を負わせた事件。

<文明開化>


開港後、横浜は外国への窓口として開かれ、生活の中には横浜から始まったものも多い。




<生糸貿易>
 

横浜の貿易商人は、原善三郎、茂木惣兵衛などが有名。
原善三郎の娘婿原三渓は、美術愛好家で本牧の地に日本庭園(三渓園を造り、三重の塔、茶室などを移築した。

1899(明治32)年

条約改正で居留地廃止