ノラと紫上
紫上がはじめて物語の世界に登場するときの文章は、簡潔で精彩を放っている。
髪は、扇をひろげたるやうに、ゆらゆらとして、顔は、いと赤くすりなして立てり。(略)つらつき、いとらうたげにて、眉のわたり、うちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじう美し。(若紫)
少女のイメージは、まだ青い果実をみるように新鮮で、いきいきしている。このような少女(十ばかり)に源氏は「かぎりなう、心を尽くし聞ゆる人」(同前)藤壺の俤を見出し落涙する。そして「かの人の御かはりに、明け暮れのなぐさめにも見ばやと思ふ心」(同前)が強くおこる。紫上の存在理由は彼女自身にあるのではなく、藤壺の形代にあることが分かる。しかも形代は当の藤壺から母性と完全性をとり去って、矮小化された。強行手段によって二条院に引きとった紫上を扱うのに源氏は
ひいななど、わざと、屋ども作り続けて、もろともに遊びつつ、こよなき、物思ひ(藤壺への)のまぎらはしなり。(同前)
というふうである。これは言わばイプセンの「人形の家」(1879)のヒロイン・ノラと同じく、源氏の「人形子」愛玩物として扱われることを意味する。したがって二人の関係は男女ではなく親子である。紫の側からは、外出から帰宅する源氏を出迎えて
御懐(源氏の)に入りゐて、いささか、「疎く恥づかし」とも思ひたらず。(同前)
ということになり、源氏の側からは
ただ、外(ほか)なりける御女(むすめ)を迎へ給へらんやうにぞ、思したる(略)母なき子持たらん心地して、ありき(忍び歩き)も、しづ心なく覚え給ふ。(紅葉賀)
という状況である。このような関係のもとに、源氏は紫を将来の妻として過不足のないように飼育する。もともと紫は「大方らうらうしう、をかしき御心ばへ」で、源氏は「思ひし事、かなふ」(同前)と満足する。
かくて紫上は自ら意識することなく、ノラと同じく、はじめ源氏の「人形子」から次第に「人形妻」への道を歩かされることになる。正妻葵上死後結婚(十四歳)して源氏妻となった彼女の幸を「世の人も、愛で聞ゆ」(賢木)るのであるが、源氏にとって彼女が依然として藤壺の形代であることに変わりはない。
年頃、すこし(藤壺を)思ひ忘れ給へりつるを、「あさましきまで(藤壺は紫上に)おぼえ給へるかな」と見給ふままに、すこし、物思ひの(藤壺への)はるけどころある心地し給ふ。(同前)
源氏妻としての紫上の存在が確定するのは、須磨退去にあたって、源氏留守中の二条院の財産・家政管理の一切の権限を委ねられた時からである。このとき藤壺はすでに出家している。しかし源氏帰京後の紫の存在は必ずしも安定したものではなく、明石方(松風)や朝顔斎院(朝顔)によってゆさぶられるが、結局六条院造営によって、それらの不安はすべて解消され、源氏妻としての紫の存在は不動のものとなる。
春のおとど(紫上の住居)の御前、とりわきて、梅の香も、御簾のうちの匂ひに吹きまがひて、生ける仏の御国とおぼゆ。さすがに、うちとけて、(紫は競争者もなく)やすらかに住みなし給へり。(初音)
かくて源氏と紫上の間には至福の関係が保たれる。
うす氷とけぬる池のかがみには世にたぐひなき影ぞならべる(源氏の歌)
げに、めでたき御あはひどもなり。
くもりなき池の鏡によろづ世をすむべき影ぞしるく見えける(紫の返歌)
なに事につけても、末とほき御契りを、あらまほしく聞えかはし給ふ。(同前)
しかるに永久につづくと予想された二人の至福の関係は、朱雀院の女三宮の六条院降嫁を機として崩壊する。彼女はもはや六条院のヒロインではありえない。このとき彼女は、生まれてはじめて妻の座とは何か、女とは何か、という人間存在の根源に関する問題に直面する。源氏と紫の仲は、表面たいへんむつまじく、いささかも飽かぬことなく、何のへだたりもないように見えながら、ときどき紫は源氏にむかって真剣に言い出すことがある。
「今は、かう、おほぞうの住ひならで(かりそめの生活ではなくて)のどやかに行(おこな)ひをも(出家の生活をもしたい)となむ思ふ。この世はかばかりと見果てつる心ちする齢にもなりにけり。さりぬべきさまに、思(おぼ)し許してよ」(出家をお許し下さい)。(若菜下)
紫上は三十八歳になっている。このとき彼女は、源氏とともに暮らしてきた自分の人生が何であったかを見通す視点を獲得した。覚醒したのである。この際出家は、源氏の「人形妻」を捨てて、真の人間存在にたちかえることを意味するだろう。それはノラの家出にほかならない。
「ノラの目前で、えらそうな夫の偶像が認識の雷火に撃ち崩された」(鴎外訳「ノラ」解題)時ノラの言う言葉は「わたくしは乞食のやうな生活をいたしてゐたので御座います(略)」夫のヘルメルが「お前、こゝで幸福ではなかったのか」と言うとノラは「いゝえ、ちっとも幸福ではございませんでした。それは幸福なやうには思ってゐましたが、本当は少しも幸福でなかったのです(略)わたくし内でお父う様の人形っ子だったやうに、こちらではあなたの人形女でした(略)それがあなたとの夫婦中でございました(略)わたくしこれから自分で自分を省みて見たり、自分と周囲との関係を観察したりいたして、正しい方向を立てますには、ひとりでゐなくては駄目でございます。ですからもう此上あなたの所にはゐられません」と答える。さらにヘルメルが「お前家をも夫をも子をも棄てゝ出たら、世間の人がなんと云ふと思ふのか」と問うと、ノラは(略)「わたくしもうそんな事は思ってゐません。わたくし何より先に人間だと思ひます。あなたと同じ人間です。よしやまだ同じでないまでも、これから同じになるやうに努力します」と言い遺して家を出てゆく。
この世はかばかりと見果てつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべきさまに、思し許してよ。(若菜下)
紫のこの申し出は、ノラの申し出をヘルメルが全く理解し得なかったと同じように、源氏にとっても全く理解をこえることであった。現世に満足している源氏は無論申し出を許さない。そして必死に説得する。
高き交(まじわい)(後宮の生活)につけても心みだれ、人にあらそふ思(おもい)の絶えぬも、安げなきを、(あなたのように)親の窓の内ながら過し給へるやうなる、心やすきことはなし(親の手許で過すと同様な気楽さは他にない)。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。思の外に、この宮(女三宮)のかく渡りものし給へるこそは、なま苦しかるべけれどそれにつけては、いとど加ふる(私の)志の程を、御自らの上なれば、思し知らずやあらむ。物の心も深く知り給ふめれば、さりともとな思ふ(分からぬはずはない)。(同前)
しかしそれに対する紫の反応は冷やかである。
「宣ふやうに、ものはかなき身には過ぎにたる余所のおぼえはあらめど(つまらぬ身には過分な幸と、よそ目には思われようが)心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さは自らの祈りなりける(心のうちでは何とも耐えきれないような大きな悲しみだけが、私の生きてゆくただ一つの支えになっています)。(同前)
「心に堪へぬもの嘆かしさ」は、栄華のなかに生きている源氏にとっては、しょせん無縁である。それは人間存在そのものの孤獨に深くかかわる嘆きでなければならない。
紫の孤独とノラの「ひとり」との間には、むろん相違がある。それは基本的には古代日本王朝社会と近代ヨーロッパ市民社会との相違に基づく。紫の孤独は仏教的世界観にかかわり、ノラの「ひとり」は市民的世界観にかかわる。しかしそういう歴史・社会的相違をこえて、すぐれた文学作品に登場する人物には或普遍性が認められることも事実である。それは何かと言えば究極において、精神の自由への希求であり、憧憬であろう。「源氏物語」五十四帖の主題については細密な研究がなされているが、私には紫の「心に堪へぬもの嘆かしさ」と、物語の最後に浮舟が僧都の還俗のすすめも断わり、薫の愛執の申し出も断わり、ひたすら孤独に耐えて生きてゆこうとする精神にこそ物語全体の主題があったと思う。