「枕草子」と「源氏物語」
日本の古典文学を代表する両作品については、古来おびただしい議論がなされており、いまさらこと新しく私の立言する余地など全くないのであるが、ただ「源氏」を読んでゆく上で、「枕」を避けて通るわけにはゆかないので、ちょっとふれてみるだけである。
両作品は時代を同じくし、後宮のサロンを同じくしながら、ほとんど対蹠的でさえあるほどの相違をみせるのはなぜか。それは一つには随筆と物語という様式上の相違から来るものがあり、成立事情の相違や、定子サロンと彰子サロンとの雰囲気の相違から来るものもあろう。にもかかわらずその相違は、もっと深い本質的なものであるように考えられるのである。今原文について見よう。
春の日かげうららかに照りわたった清涼殿のうえの御局の昼どき、勾欄のもとに据えられた大きなる青き瓶に、五尺ばかりの桜が一杯さされ、それが勾欄の外までらんまんと咲きこぼれている。そこに若く美しい大納言伊周が「桜の直衣のすこしなよらかなるに、こきむらさきの指貫、しろき御衣ども、うへにはこき綾のいとあざやかなるをいだして」(二十段・金子元臣「枕草子評釈」)やってくる。中宮は御前の御几帳をおしやり、長押のもとに出て兄大納言と対面される。この時の中宮の有様が次のように書かれる。
ただ何事もなく、よろづにめでたきを、さぶらふ人もおもふことなき心地するに、「月も日もかはりゆけどもひさにふる三室の山の」といふふるごとを、(大納言が)いとゆるるかにうちいだし給へる、いとをかしと覚ゆる。げに千とせもあらまほしき御ありさまなるや。(同前)
この段は金子元臣氏によれば「伊周が大納言の現任であるのと、道隆を「只今の関白殿」とあるのとから推すと、正暦五年の春三月の事なのは、疑いもない。」(同前)とすれば翌長徳元年には道隆が没し、翌々長徳二年には伊周失脚、中宮落飾が相次ぎ、中宮の「千とせもあらまほしき御ありさま」は瞬時に消え去るのである。これらの事実を作者はすべて知っていた。にもかかわらず彼女は、主家没落後も中宮の栄華の永遠性を信じつづける。人の世に永遠なものなんか何もないのに、すべては幻にすぎないのに、彼女はあくまでそれにあらがって、永遠の世界の存在を信ぜずにはおれないのである。これに反して「源氏」の作者は、人の世の幻にすぎないことを見通している。
六条院の紫上の住む春のおとどの正月は、まさに「生ける仏の御国」(初音)とさえ思われ、源氏の変わることのない栄華は「千歳のかげにしるき」(同前)ものであり、源氏と紫の仲は「げに、千歳の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり」(同前)と記されている。しかしその永久につづくと思われた六条院の栄華は、それから四年後、女三宮の六条院降嫁を機として必然的に崩壊への道を歩みだすことになる。その間の過程をたどる作者の目は、いささかも感傷にくもることなく、冷然と醒めている。源氏が若い柏木にむかって言う「さかさまに行かぬ年月よ。老いは、えのがれぬわざなり」(若菜下)ここには源氏の老残の姿が痛烈に描きだされている。さらに追い討ちをかけるかのように、紫上の臨終に明石中宮とともに立ち会った源氏の心中が
御かたちども(紫上と明石中宮との)あらまほしく、見るかひあるにつけても、かくて千年を過ぐすわざもがなと、(源氏は)おぼさるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめむ方なきぞ、悲しかりける。(御法)
と記される。人間の願望と人生の現実との隔絶の如何ともし難いことの確認と悲しさがここにのべられている。源氏歿後間もなく、かって「生ける仏の御国」と思われた六条院が見るかげもなく荒廃したのを見て薫が述懐するところがある。
故院(源氏)の亡せ給ひて後、二・三年ばかりの末に、世を背き給ひし嵯峨の院にも、六条院にも、さしのぞく人の、心、をさめむかたなくなり侍りにける。木・草の色につけても、涙にくれてのみなむ、かへり侍りける。かの御あたり(源氏の)の人は、上下、心浅き人なくこそ侍りけれ。かたがた、つどひ(六条院に)物せられける人人(婦人たち)も、皆、所所あかれ(分かれ)散りつつ、おのおの、思ひ離るる住ひをし給ふめりしに、(略)物、おぼえぬ心にまかせつつ、山・林に入りまじり、すずろなる田舎人になりなど、あはれに惑ひ散るこそ、多く侍りけれ。(宿木)
もし「源氏物語」が道長をモデルとして書かれたとすれば、事実としてこういうことはあり得ない。なぜなら道長が
この世をばわが世とぞおもふ望月の欠けたることもなしとおもへば
という著名な歌を詠んだのは、「源氏物語」が書き終えられたと推定される寛弘七年(一〇一〇)より八年後の威子立后の祝宴の席であったからである。紫式部は道長の比類なき栄華を目のあたりにして、清少納言のように「千とせもあらまほしき御ありさま」とは決して思わなかった。全盛の栄華のかげに、まぎれようもない荒廃の姿を見ていたのである。要するに彼女は道長の栄華圏からの疎外者であった。彼女の心のなかには、いつも荒涼とした風が吹きぬけていた。
年暮れてわが世ふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな(紫式部日記)
後宮歳末の夜ふけの、華やかな風景のなかにあっての独り言である。「源氏物語」の作者は、いつも残照の微光のなかに立っていた。紫上歿後、源氏が追慕するところ
神無月には、おほかたも時雨がちなるころ、(源氏は)いとどながめ給ひて、夕暮の空の気色も、えもいはぬ心細さに、「降りしかど」(「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひづる折はなかりき」伊行釈)と、ひとりごちおはす。(幻)
さむざむと暮れゆく夕べの空には一片の光もない。清少納言の立っていたのは昼の光の下であった。たとえ夕暮れでも光はまだ残っている。
日は入り日。入りはてぬる山ぎはに、光なほとまりて赤う見ゆるに、薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり。(二百五段)
「枕」と「源氏」に、それぞれ野分の翌朝の描写がある。両者は一般的状況としてはよく似ているが、描写の態度には本質的な相違が見られる。まず「枕」、
野分のまたの日こそ、いみじうあはれに覚ゆれ。立蔀(たてじとみ)・透垣(すいがい)などの伏しなみたるに、前栽(ぜんさい)ども心ぐるしげなり。おほきなる木ども倒れ、枝など吹き折られたるだに惜しきに、萩・女郎花などのうへに、よろぼひ這ひ伏せる、いと思はずなり(思いのほかだ)。格子の壺(格子のひとこまひとこま)などに、さときは(そのように輪廓)をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざともおぼえね。(百六十三段)
次に「源氏」、
おはしますにあたれる(源氏と紫上の寝所のまえに當る)勾欄に(夕霧が)おしかかりて、見わたせば、山の木どもも、吹き靡かして、枝ども、おほく折れ伏したり。くさむらは、更にもいはず、檜皮(ひはだ)・瓦、所々の立蔀・透垣などやうのもの、乱りがはし。日の、わづかにさし出でたるに、うれへがほなる庭の露、きらきらとして、空は、いとすごく霧り渡れるに、そこはかとなく涙の落つるを、(夕霧は)おし拭ひかくして云々。(野分)
引用文中傍点を施した箇所は、ともに擬人法といわれる表現になっているが、両者の間には根本的な相違がある。「枕」の場合は、作者の美的価値判断によるレトリックとして、そこに新しく造り出された特異な風景であるのに対して、「源氏」の場合は夕霧の孤独な心象風景である。この時若い夕霧の心は、ままならぬ雲井雁への恋慕と「気高く、清らに、さと匂ふ心地して、春のあけぼのの霞の間より、おもしろきかば桜の咲きみだれたるを見る心地す」(同前)る紫上への憧憬とにゆれ動いているのである。「うれへがほなる庭の露、きらきらとして」というのは、ゆれ動く夕霧の心情が投影された心象風景にほかならない。「枕」にはこのような人生の背景はまったくない。したがって「枕」は、機知(「をかし」)によって絵画的に紋様化された自然であるのに対して、「源氏」は悲哀(「あはれ」)によって印象的に形象化された自然である、と言えよう。もうひとつ両者の自然描写の対蹠的である例を挙げよう。
「枕」、
九月ばかり、夜一夜降りあかしつる雨の、今朝はやみて、朝日の花やかにさし出でたるに、前栽の菊の露こぼるばかりぬれかかりたるも、いとをかし。透垣、羅文(らもん)(菱形に交叉した竹)などのうへに、かいたる蜘蛛の巣のこぼれ残りて、所々に糸も絶えざまに、雨のかかりたるが、白き玉をつらぬきたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。すこし日たけぬれば、萩などのいとおもげなるに、露の落つるに、枝のうち動きて、人も手ふれぬに、ふとかみざまへあがりたる、いみじうをかし、といひたることどもの、人の心にはつゆをかしからじとおもふこそ、またをかしけれ。(百十一段)
「源氏」、
日入り方になり行くに、空の気色も、あはれに霧りわたりて、山のかげは、小暗き心ちするに、ひぐらし鳴きしきりて、垣ほに生ふる撫子の、うち靡ける色も、をかしう見ゆ。御前の前栽(落葉宮のいる小野の山里の庭前の植えこみ)の花どもは、心にまかせて乱れあひたるに、水の音、いと涼しげにて、山(比叡)おろし心すごく、松のひびき、木深く聞えわたされなどして、不断の経読む時かはりて、鐘うち鳴らすに、立つ(立ち去る)声も、居かはる(声)も、一つにあひて、いと、尊くきこゆ。ところがら、よろづの事、心細う見なさるるも、(夕霧は)あはれに、物、思ひ続けらる。(夕霧)
「枕」のをかしは、些細な庭前の風景に対して興味をそそられ、その興味をそそられることに対して、誰も興味をそそられないだろう、と思うことがまた一段と興味深い、というのである。をかしの本質的な特徴は機知と批評的精神にある、と言えよう。これに対して「源氏」のあはれは、たんなる属目の風景の感じではない。風景の背後に夕霧の憂愁がある。彼は夫を喪った落葉宮に深く心を寄せるが、彼女は亡くなった母御息所を追慕するばかりで、夕霧の愛をまったく受けいれようとはしない。小野の寓居の自然描写は、すべて夕霧の遂げられない愛の悲しみの投影である。あはれの本質的な特徴は悲哀と感情移入にある、と言えよう。
このような心的態度の相違が、両者の自然描写を対蹠的にするのである。明晰と幽暗、細密と雰囲気、部分と全体、小景と大景、露出と隠蔽、空間的と時間的、絵画的と音楽的といった徴表がそれである。