「源氏物語」に現われる〈死〉について
源氏を読んでゆくと、さまざまな〈死〉に出会うが、〈死〉を書くのに、だいたい二通りの方法が考えられる。第一は客体的な方法と言えるもので、それは〈死〉を現象的に直接指示し、第三者の目によって外側から報告する方法である。この場合作者の感情移入は行なわれない。第二は主体的な方法と言えるもので、それは〈死〉を比喩によって象徴的に表わし、当事者の目を通して内側から表現する方法である。この場合は当然作者の感情移入が行なわれる。第一の場合は〈死〉を〈生〉の喪失として結果的に報告し、第二の場合は〈死〉を〈生〉の喪失に至る必然的な過程として表現する。作品について見よう。さいしょに桐壷更衣の死について
「夜中うち過ぐる程になむ絶えはて給ひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。(桐壷)
これは言うまでもなく第一の客体的方法であって、ここに作者の感情移入は認められない。そのことは更衣の死後帝が追想するのに楊貴妃と対比しながら
太液の芙蓉、未央の柳も、げに通ひたりし容貌を、唐めいたる粧(よそい)はうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。(同前)
という概念的・類型的な書き方をしていることからも知られるだろう。ここには追憶される更衣の人間としての実体を欠く。更衣の死は物語の世界に、主題を荷なうべき人物藤壷を登場させるための副次的設定であった。
つぎに現われる夕顔の死は
ただ冷えに冷え入りて、息は疾く絶え果てにけり。(夕顔)
この書き方も第一の方法に属するが、それをたんに外側からの報告と言い切ってしまうには躊躇するものがある。なぜなら「ただ冷えに冷え入りて」という描写には、何か妙に感覚的な、なま生ましさがあり、実在感があるからである。そのことは夕顔の死後の描写を見ても解かる。
この人を(源氏は)え抱き給ふまじければ、上蓆(うわむしろ)におしくくみて、惟光乗せ奉る。いとささやかにて、うとましげもなく、らうたげなり。したたかにもえせねば(しっかりとも始末ができないので)髪はこぼれ出でたるも、(源氏は)目くれ惑ひて、あさましう悲しと思せば云々。(同前)
東山の尼寺に移された夕顔の遺骸に対面して帰途源氏は追憶にふける。
路いと露けきに、いとどしき朝露に、何処ともなく惑ふ心地し給ふ。ありしながらうち臥したりつるさま、うち交し給へりし、わが御紅の御衣の著られたりつるなど、いかなりけむ契にか、と道すがら思さる。(同前)
ここのところを前の帝の追憶と比べてみれば、その相違はおのずから明らかであろう。ここの描写が親密で具体的であることからしても、夕顔の死にはかなり作者の感情移入が行なわれているとみるべきであろう。しかし所詮夕顔の死も、はるか後の六条院物語のヒロインとなるべき玉鬘を予告するための副次的設定であって、それ自身で完結するものではなかった点において、更衣の場合と共通する。
つぎに葵上の死は
内裏に御消息聞え給ふ程もなく、絶え入り給ひぬ。(葵)
これも第一の方法に属する。父左大臣の権勢をバックにして多くの侍女にかしずかれて深窓に育った、わがままな女性として終始した葵上の死に対して、源氏は
のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲井のあはれなるかな(葵上を焼いて上がった煙はそれと判別できないが、しかし雲全体がしみじみとあわれに思われることだ)。 (同上)
と思慕の情を寄せてはいるが、作者の感情移入はほとんど見られない。葵上の死も結局、作品の世界の発展の上で、主題を負うべき人物紫上を源氏の北の方として登場させるための副次的設定であったと見るべきであろう。
つぎに桐壺院の死
おどろおどろしきさまにもおはしまさで、崩(かく)れさせ給ひぬ。足を空に思ひ惑ふ人多かり。(賢木)
これも第一の方法に属する。直ぐ後につづいて、院の死後、世の中は信望のない右大臣の思いのままになるだろうことを気遣って、上達部、殿上人みな思い歎いたとあるが、院の死に対する作者の感情移入はあまり見られない。結局院の死も、藤壺の落飾と源氏の須磨流謫をもたらすための副次的設定であった。
つぎに六條御息所の死は
七・八日ありて亡せ給ひにけり。(澪標)
愛惜の情などまったく感じられない。きわめてそっけない、事務的な書きぶりである。もっとも直ぐ後につづいて
あへなう思さるるに(源氏はあまりのあっけなさに)世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内裏へも参り給はず、とかくの御事など掟てさせ給ふ(葬送の事などを指図なさる)。(同前)
「世もいとはかなくて」心細く思われるが、葬送のことはてきぱきと処理する。ここでも御息所の死は、それ自身で完結するのではなく、源氏の関心はもっぱら後に遺された姫宮に向かい、後の秋好中宮を用意するための副次的設定であったことは前掲の例と同じである。
つぎに藤壺の死は
燈火などの消え入るやうにてはて給ひぬれば、いふかひなく悲しき事を(源氏は)思し歎く。(薄雲)
この書き方はこれまでの「絶えはて」(更衣・夕顔)「絶え入り」(葵上)「亡せ給ひ」(六条御息所)という報告的記述とはっきり異なる。「燈火などの消え入るやうにて」は比喩による表現であるが、これについて石田穣二氏は「法華経」安楽行品の偈中「説無漏妙法、度無量衆生、後当入涅槃、如煙尽燈滅」からの引用とされる(「源氏物語における四つの死」「学苑」昭36・11)。そうすれば作者は藤壺の死を仏入滅に喩えたことになる。
藤壺の死の前後の文は、これまで書かれた誰のものよりも詳しく、かつ内部に深く立ち入って書かれている。彼女が死を前にして思いつづけることは
御心の中に思し続くるに、高き宿世、世のさかえも並ぶ人なく、心の中に飽かず思ふことも、人にまさりける身と思し知らる。(同前)
「心の中に飽かず思ふこと」は文脈上、「高き宿世、世のさかえ」と対極的に書かれていることからみても、これは「源氏といっしょになれないこと」(玉上琢弥氏「源氏物語評釈」第四巻・薄雲)などではなく、どうしても源氏との不義に対する不満であり、さらに不義の子の出生に対する罪の意識であらねばならない。現に若宮出生の時から彼女は「心の鬼」に思い悩まされている。
宮の御心の鬼にいと苦しく、人の見奉るも、あやしかりつる程のあやまりを、まさに人の思ひとがめじや、さらぬはかなき事をだに、疵を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか云々。(紅葉賀)
その後彼女は、我が子に対する罪の意識から免罪されるために出家を発意する。
御心動く折々あれど、わが身をなきになしても春宮の御代をたひらかにおはしまさばとのみ思しつつ、御行ひたゆみなく勤めさせ給ふ。人知れず危くゆゆしう思ひ聞えさせ給ふ事しあれば、われにその罪を軽めてゆるし給へと、仏を念じ聞え給ふに、よろづを慰め給ふ。(賢木)
仏前に我が身を捨てて罪をつぐない、春宮出生の罪をおゆるし下さい、というのであろう。二十九歳の時であった。それから今三十七歳ではてるまで捨身の行によって免罪されることを通じて、彼女は女としては未だかって誰も受け得なかったような大きな愛惜をかち得る。
まことに心深き事どもの限りをしおかせ給へれば、何とわくまじき山伏などまで惜しみ聞ゆ。(薄雲)
藤壺は生まれながら罪障の深い女の身でありながら、見事に罪障の泥沼から昇華して、荘厳の死を遂げた類まれな女人である。「燈火などの消え入るやうにてはて給ひぬ」という比喩表現は、まさに作者の藤壺への頌詞(オマージュ)であろう。藤壺の死はこれまで述べてきた〈死〉が、それ自身で完結するものではなく、物語の世界につぎに登場すべき人物を用意するための副次的設定であったのとは明らかに異なる。藤壺の死はそれ自身で完結する主題的設定である。ここで一つの時代が終わったのである。この時から源氏はあてどもない青春の彷徨から、安定した人生の中年に入る。
つぎに柏木の死は
泡の消え入るやうにて亡せ給ひぬ。(柏木)
この文は直接には友則の「うきながら消(け)ぬるあわとも成りななむ流れてとだにたのまれぬ身は」(古今・恋五)を受けていると考えられるが、さきの石田穣二氏はつぎのように言われる。
友則の歌によって、我々はこの表現の感じを再建しなくてはならない。かなはざる、いや正確には、かなはざるに似た恋に死んだこの青年の死を叙するにふさはしい表現として、私はこの措辞を解する。そして私は、柏木の巻における、作者の、ひたひたと水の寄せるにも似た清冽な感傷の純度の高さをここにも思ふ。(同前)
美しい文章である。文章を理解するのに、もちろん石田氏の言うように「我々の恣意的な感情移入や解釈が入ってはいけない」(同前)ことは言うまでもないが、私には「泡の消え入るやうにて」は、柏木の不幸な、運命的な死の必然性を象徴しているように思われるのである。死の直前夕霧に語る言葉のなかに
亡からむ後にも、この勘事(女三宮との密会についての源氏の勘気)ゆるされたらむなむ、御徳に侍るべき。(柏木)
と言って源氏の勘気のゆるされることを依頼する。しかし女三宮との密会が、源氏の勘気を被ることは最初から分かっていたはずである。分かっていながら、そのことを顧みる余地がなかっただけである。それほど彼の想念の生み出した女三宮の理想像は完璧であり、彼はひたすらその理想像に殉ずることだけしか考えなかった。その時彼の心の水平線上に権力者源氏の姿など全く現われて来なかった。御帳台で最初に柏木が見た女三宮は次のように書かれている。
わななき給ふさま、水のやうに汗も流れて、物も覚え給はぬ気色、いとあわれにらうたげなり。(若菜下)
「いとあはれにらうたげ」な現実の女三宮は、彼の想念の中の完璧な理想像とはあまりにかけ離れている。その時彼は自分を制御できなくなり、
さかしく思ひしづむる心も失せて、いづちもいづちもゐて隠し奉りて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えて止みなばや、とまで思ひ乱れぬ。(同前)
かくて密会はとげられる。その時彼は宮に言う。
さらば不用なめり。身をいたづらにやはなしはてぬ。いと棄て難きによりてこそ、かくまでも侍れ。今宵に限り侍りなむもいみじくなむ。つゆにても御心許し給ふ様ならば、それに代へつるにても棄て侍りなまし。(もはや生きるかいもなさそうです。死ぬほかはありません。捨てがたい命と思えばこそ、今まで生きながらえてきました。それも今夜限りになって、ひどく悲しく思います。少しでもお許し下さるお気持なら、それに代えて私の命も捨てます)。(同前)
女三宮との密会にあたって、すでに彼は死を覚悟している。それなのに死の直前になって源氏のゆるしを乞うのはなぜか。この矛盾は彼の理想像の崩壊を意味するものではないか。「泡の消え入るやうにて」という比喩はこの崩壊を表現する。理想像はそれが完璧であればあるほど、ますます現実から遠ざかる。ちょうど水の泡が跡形もなく消え入るように。「泡」はまさに崩壊感覚そのものである。ここにおいて柏木の死は自己完結する。同時にそれは「生ける仏の御国」(初音)とたたえられた六条院の栄華の崩壊を暗示する。
つぎに紫上の死
宮(明石中宮・紫上の養女)は、(紫上の)御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつり給ふに、まことに消えゆく露の心地して、限に見え給へば、御誦経の使ども、数も知らず立ち騒ぎたり。前々(さきざき)もかくて生き出で給ふ折にならひ給ひて、御物怪(もののけ)とうたがひ給ひて(源氏は)夜一夜さまざまのことをしつくさせ給へど、かひもなく、明けはつる程に消え果て給ひぬ。(御法)
紫上の死は、明石中宮に泣く泣く見守られて、
まことに消えゆく露の心地して消え果て給ひぬ。
と書かれている。「まことに」というのは、すぐ前に「こよなう痩せ細り給へ」る紫上が、「風すごく吹き出でたる夕暮に」前栽を見ようとして脇息に倚りかかっているところに、源氏と明石中宮が見舞いにきて三人の問に歌の唱和があったのを受ける。
紫上 おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩の上露
源氏 ややもせば消えをあらそふ露の世に後れさきだつ程へずもがな
中宮 秋風にしばしとまらぬつゆの世をたれか草葉のうへとのみ見む
すべて露の主題で統一されている。「風にみだるる萩のうは露」であり「消えをあらそふ露」であり「しばしとまらぬつゆ」である。
柏木の死は「泡の消え入るやうにて亡せ給ひぬ」と書かれていたが、なぜ柏木の死は「泡の消え入るやうに」であり、紫上の死は「消えゆく露の心地して」なのか。柏木の死を「消え入る泡」に、紫上の死を「消えゆく露」にたとえることに、どれほどの必然性があるのか。作者はいったい何を意図してこういう書き分けをしたのか。それは決してたんなる修飾上の問題にとどまるべきではない。
比喩としての「泡」と「露」は一般的にはともに消えやすいもので、どちらでも同じことのように思うのが常識である。しかし作者にとっては同じことではなかった。「源氏物語」を通じて「露」は八十七例をみるが、「泡」はわずかに三例にすぎない。(「源氏物語大成」)こんなにも大きい開きのあることは、多分「露」が作者を取りまく環境(自然的・人為的)において、ごくふつうに見られる現象であるのに、「泡」は稀少なものであったことに因るものであろう。柏木の死を叙するのに、あえて稀な用例の「泡」を用い、紫上の死に一般的な用例の「露」を用いたことには、それだけの意図があったと考えるべきだろう。
「泡」には「泡の消え入るやうにて亡せ給ひぬ」の下敷となった友則の歌「うきながら消ぬるあわとも成りななむ流れてとだにたのまれぬ身は」にもあるようにその背景に「流れ」というイメージがあるが、「露」の背景にあるものは紫上の死の直前に詠まれた紫上と中宮との歌にみられるように「草葉」である。流れに浮かびながら消える「泡」は、自ら招いた理想の女性への恋に破れ、妻にさえ面会できず孤独に死なねばならなかった一人の男を叙するのにふさわしく、そこに或悲痛な崩壊感がにじみでてくる。風に散る草葉の上の「露」は、ただ一人の養女明石中宮に手をとられて「限もなくらうたげにをかしげなる御様にて」(御法)死んだ一人の女の美しい消滅感をあらわす。「泡」と「露」の使い分けは、作者にとって必然であったのである。
紫上死後の有様が夕霧の目を通して語られる。
御髪(みぐし)のただうちやられ給へる程、こちたくけうらにて(澤山で美しく)露ばかり乱れたる気色もなう、艶々(つやつや)とうつくしげなるさまぞ限なき。燈のいと明きに、御色はいと白く光るやうにて、とかくうち紛はす事ありし現(うつつ)の御もてなしよりも(何かと繕うことがあった生前の御態度よりも)いふかひなきさまに、何心なくて臥し給へる御有様の、飽かぬ所なし、と言はむもさらなりや。斜(なのめ)にだにあらず、類(たぐい)なきを見奉るに、死に入る魂の、やがてこの御骸(かち)にとまらなむ、と思ほゆるも、理(わり)なき事なりや。(御法)
右の「死に入る魂の」は、「古典全書」その他では夕霧の魂と注するが、これは「日本古典文学全集」のように紫上と見る方がよいと思う。ここで注意すべきことは紫上の死顔が燈火の下で白く光るように見え、生前の化粧した容姿よりも、今目の前に一個のものと化して無心に横たわっている姿の方が、より完璧に美しいとしていることである。死を生よりも完璧に美しいとするのは、紫式部の紫上へのレクイエム(鎮魂曲)であり、同時に作者自身へのレクイエムではなかったか。紫上は死によって始めて「心に堪へぬもの歎かしさ」(若菜下)から解放され無心の少女時代(若紫)へ帰ることができたのだ。右の文はそういう意味を暗示し、それはまた作者自身の祈りでもあったように私は思う。
つぎに大君の死は
見るままに(薫が見ているうちに)物の枯れ行くやうにて、消えはて給ひぬるは、いみじきわざかな。(大君の息が絶えてしまわれたのは、何という悲しいことだらう)。 (総角)
「物の枯れ行くやうにて」という比喩は、これまで見てきた誰の死にも見られない。この言葉の調子には或重い響きがあるように感じられる。それは何か。
「物の枯れ行く」は「源氏物語」中ここ一例であるが「枯れゆく」は他に匂宮が宇治の姫君たちへ送った消息のなかに「枯れゆく野辺もわきてながめらるる頃になむ」(椎本)の一例がある。「枯れゆく野辺」は歌語であって、新千載集五秋下具平親王の歌にも「鹿の住む尾上の萩の下葉より枯れゆく野辺もあはれとぞ見る」がある。これらはたんに秋のわびしい風景を歌ったもので直接人間の死とは関係ない。「枯れはつる」は「源氏物語」中に一例、秋好中宮が紫上歿後源氏へ弔問の消息を送ったなかに「枯れはつる野辺を憂しとやなき人のあきに心をとどめざりけむ(凋落の野辺をわびしく思って亡き紫上は秋を好まれなかったのでしょうか)」(御法)がある。
「物の枯れゆくやうにて」の比喩は、はるかに秋好中宮の「枯れはつる野辺」に照応する。しかし中身はもっと重い。それは「消えゆく露」と「物の枯れ行く」との違いである。「物の枯れ行く」は「消えゆく露」のようなはかない愛すべきイメージとは無縁である。それは或恐るべきイメージを喚起する。物の滅亡である。作者は大君の死をまさに滅びの美学として読者の前に差し出そうとしているのではないか。私にはそんな気がするのである。大君は自分の生を滅びの美学に合わせて生きようとする。滅びの美学とは何か。肉体を滅ぼすことによってしか、愛を完成させることは絶対にできないという思想である。
思うに作者は紫上の死を書くことによって愛のありようを見てしまった。正編は源氏の歌で終わる。
もの思ふと過ぐる月日もしらぬまに年もわが世もけふやつきぬる(幻)
続編を書きはじめる作者は、もはや愛に対して一片の幻想も抱くことはできない。彼女の心の底には氷りつくような絶望だけが巣くっている。こうして薫や大君や浮舟のような、これまで登場してきたどの人物ともまったく異次元の異形の人物が造型される。薫は冷泉院・后の宮の寵を一身に集め、若くして高位高官に昇りながら「世の中を、深くあぢきなきものに思ひすましたる心」を持ち本能的に自分の出生に対して「いかなりにける事にかは。何の契にて、かう安からぬ思ひ添ひたる身にもなり出でけむ」と懐疑的であり、元服さえもの憂がり、「おのづから世の中にもてなされて、まばゆきまではなやかなる御身の飾も、心につかずのみ思ひしづまり給へり」(以上匂宮)という有様である。
おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ
とひとりごとを言うが、むろん誰も「答ふべき人(同前)はない。世俗的な好き者である匂宮に対して彼は明らかに別次元の人である。薫の切なる求婚に対して大君が、彼の誠実な人柄に深く心を惹かれながら、どうしても結婚に踏みきることのできないのは、彼女の内部における諦念のゆえである。彼女の目にはすでに愛の終末がはっきり見えている。薫との美しい愛をいつまでも美しいままに保持するためには、我が肉体を消し去る以外に道のないことを確信する。
あわれと思ふ人の御心も、必ずつらしと思ひぬべきわざにこそあめれ(今は自分がいとおしく思ふ薫のお心も一旦結婚すれば必ずつらいと思うに違いない事なのだ)われも人も見おとさず、心違はで止みにしがな(自分も相手(薫)も互に見下げず、また背くことなくて通したいものだ。以上大君の心)と思ふ心づかひ深くし給へり(総角)
かくて彼女は食を絶ち、ひたすら肉体の滅びを待つ。そしてついに彼女は「腕などもいと細うなりて、影のやうに」なり「白き御衣どものなよびかなるに、衾(ふすま)を押しやりて、中に身もなき雛を臥せたらむ心地して」薫の目の前で「物の枯れ行くやうにて、消えはて」(同前)るのである、右の「影」や「身もなき雛」や「物の枯れ行く」はすでに彼女が肉体の腐触から免れて、透明な精神的存在に昇華していることを示すものではないか。これが作者の到達した愛の究極の姿であった。愛は滅びのなかに生きるよりほかに生きようのないものである。この時から大君は薫の回想のなかに美しく生きつづける。
何ごとにつけても、ただかのひとつゆかりをぞ思ひ出で給ひける(薫は唯あの大君の血縁のことだけが思い出されるのであった)。(手習)