森鴎外と紫式部


前に続篇を書きはじめる作者は、もはや愛に対して一片の幻想も抱くことはできない。(略)薫の切なる求婚に対して大君が彼の誠実な人柄に深く心を惹かれながら、どうしても結婚に踏みきることのできないのは、彼女の内部における諦念のゆえである。彼女の目にはすでに愛の終末がはっきり見えている云々。」と書いたとき、私はふと鴎外を思い出していた。彼もまた諦念の人であった。鴎外はすでに人生の入り口で諦念に到達している。諦念を動機として作品は書きはじめられた。最初の三部作はすべて、この世における愛の不毛について語られている。「舞姫」(明治23・1)の女主人公エリスは「生ける屍」となり、「うたかたの記」(明治23・8)の女主人公マリイはスタルンベルヒの湖底に沈み、「文づかひ」(明治24・1)の女主人公イイダ姫は「冢穴」のような「禮知りてなさけ知らぬ宮の内」に我が身を埋める。以後鴎外は軍医として精励し軍医総監・陸軍省医務局長となり軍政の中枢に座を占め、時の最大権力者山県有朋に近づく。軍を辞めて後は帝室博物館総長として皇室に忠誠をつくす。しかし彼の内部にはつねに確固たる諦念があって、彼をまるごと軍人・官僚とすることに強く抵抗する。鴎外の作品はすべて、表面の精励と裏面の諦念との相拮抗する精神のはざまから、ひそかに落ちる涙にほかならない。
沙羅の木
褐色(かちいろ)の根府川石(ねぶかわいし)に
白き花はたと落ちたり、
ありとしも青葉がくれに
見えざりしさらの木の花。(「沙羅の木」明治39・9)

この詩は鴎外の生きかたを象徴している。今駒込千駄木町の観潮楼跡にある鴎外記念館の前庭に建つ詩碑に刻まれている。鴎外がその四十年におよぶ精励と忠誠の仮面を投げ捨てて、本来の人間に帰ることができたのは、わずかに死の三日前であった。親友賀古鶴所によって口述された遺言は

(前略)死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官権威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス森林太郎トシテ死セントス墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続ハソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス
大正十一年七月六日

紫式部もまた一条帝中宮彰子のもとに出仕して、時の最大の権力者藤原道長に近づく。彼女は道長の統轄する栄耀栄華の世界のただなかにありながら、その覚めた目はその世界が虚仮(こけ)にすぎないことを見抜き、そこに馴れて恥を知らない人間に落ちることを極端に怖れた。彼女は表面如何に後宮世界を讃美し、あるいはこれに順応するがごとくふるまおうとも、否そのように努力すればするほど、逆にその世界と自分との間にどうしようもない裂け目のあることを認めずにおれない。しょせん栄華の世界からはみ出すほかはない存在であることを確認することになる。われわれは華やかな女房たちのなかにあって、ひとり苦渋にゆがんだ彼女の顔を「紫式部日記」のいたるところに(寛弘5・7第一節・寛弘7・1・15第三十九節)垣間みることができるだろう。たとえば寛弘五年十二月二十九日第三十二節を見よう。

しはすの二十九日にまゐる(里から宮中に参上する)

はじめてまゐりしもこよひのことぞかし(はじめて宮仕えに参ったのは二年前)。いみじくも夢路にまどはれしかな(あの時は夢路をたどるように上の空であった)と思ひ出づれば、こよなくたち馴れにけるも(今はすっかり宮仕えに馴れてしまったことも)、うとましの(いとわしい)身のほどやとおぼゆ。夜いたう更けにけり。(中宮様は)御物忌におはしましければ、御前にもまゐらず、心ぼそくてうちふしたるに、前なる人々の(一緒にいる女房たちが)「うちわたりはなほいとけはひことなりけり(宮中はやっぱりずいぶん様子がちがいますね)。里にては、いまは寝なましものを(里だったら今頃はもう寝てしまっているでしょうに)、さもいざとき履(くつ)のしげさかな」(こんなにまあ眠ってなんかいられない履音の頻繁さですこと。この履音は女房の局を訪ねる男たちのもの)と、いろめかしくいひゐたるを聞きて、
としくれてわが世ふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな(今年も暮れて自分の生涯もようやく老いてゆく、その折から夜ふけの風の音につけて、自分の心のうちはただ荒涼とした孤独感に浸されている。みんなはあんなにうきうきしているのに)とぞひとりごたれし。(日本古典文学大系19「紫式部日記」)

後宮歳末の華やかな、うきうきした男女の風景のなかで、外の闇を吹く風の音に、ただひとりじっと心の耳を澄まして聞き入っている老いた式部の姿を想見すると、ひょっとしたらこの頃彼女は「源氏物語」の大君の死のあたりを書いていたのではなかったか、という想像にふと誘われる。さきの鴎外の「沙羅の木」の詩とこの式部の「年くれて」の歌との間に、千年の歳月をへだてて何か一筋の目に見えない、深いかなしみの糸が、つながっているように思うのは、老いた私のひとときの妄想であろうか。