道綱母と紫式部
道綱母(九三七?−九九五)は下級官僚の女でありながら、時の権力者右大臣家の御曹司兼家の妻となって、世間の女たちからその幸運を羨望された。しかし一度その内部に立ち入ってみると、好色な夫にふりまわされて、悲嘆・懊脳の絶えるまのない地獄のような生活の連続であった。彼女は幾たびか訪れる兼家との危機にひたすら耐えながら、一子道綱の養育に心を傾け、ひとりの女からひとりの母への転身をはかろうとするが、ついに天禄二年(九七一)鳴滝籠りという危機に直面して、女としての苦悩は絶頂に達する。十数年におよぶ兼家との結婚生活は、いったい何であったのか。それを根源的に問い直すために、彼女は否応なく自分を裸にして、仮借なきその人間記録(ヒューマン・ドキュメント)をつづることを決意する。こうして「蜻蛉日記」三巻は成った。したがって当然のことながらこの日記は、世上行なわれる日記一般とは異質である。この日記の主題は、あくまで自己告白であり、魂の救済であった。日記冒頭の文はそのマニフェストにほかならない。
(前略)かたちとても人にもにず、こゝろたましひもあるにもあらで(道綱母は当時評判の才色兼備の婦人であった)かうものの要にもあらであるも(夫兼家から要らぬ者のように扱われるのも)ことわりとおもひつゝ、たゞおきあかしくらすまゝに、世中におほかるふるものがたりのはしなどをみれば、世におほかるそらごとだにあり、人にもあらぬ(人なみでもない)身の上までかき日記して、めづらしきさまにもありなん、天下の人のしなたかきやと、とはんためしにもせよかし(私の生活が果たして天下に比べる者もない高い貴族の妻としての生活であるかどうか、よく見よ)とおぼゆるも、すぎにしとし、つきごろのことも、おぼつかなかりければ、さてもありぬべきことなん、おほかりける(過ぎた昔の事、近い月頃の事、書こうとすれば確かでなく、しどけないことも多い。日本古典文学大系・川口久雄氏注による)。
道綱母と同じようにすぐれた才能と高い教養をもち、同じように不幸な結婚生活を経験し、女であることの悲しさを身にしみて感じていた紫式部が「蜻蛉日記」を読んで深い共感をおぼえたことは想像にかたくない(たとえ「源氏物語」や「紫式部日記」に「蜻蛉日記」について言及されているところがないとしても)。たとえば
歎きつゝひとりぬる夜のあくるまはいかにひさしきものとかはしる(あなたは戸を開けるのが遅いとおっしゃるが、あなたのおいでを待ちわびて歎きながら独りで寝る夜の明ける間がどんなに長いものかおわかりですか)。
という道綱母の歌をみて、式部はここに、もう一人の自分がいることを痛切に感じなかっただろうか。彼女自身もまったく同じような歌を詠んでいるからである。
入る方はさやかなりける月かげをうはの空にも待ちし宵かな(あなたのおいでになる所は、はっきりしていたのに、私の所に来て下さるかと、むなしくお待ちしていた昨夜でした)。
おほかたの秋のあはれを思ひやれ月に心はあくがれぬとも(世間一般の女の人と同じように男に飽きられた私の悲しみを思いやって下さい。あなたの心は他の女を思っていても)。(紫式部集)
これらの歌を誇り高い二人の女がどんな思いで詠んだか。式部は道綱母の生き方に身をつまされたに違いない。そして道綱母が、当時一般に行われていた古物語は「そらごと」であって、不幸な身の上を書いたものではない、と言っていることに対して全面的に同意した(蛍巻)。しかしながらそうかといって式部は日記が「世中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、よにふる人」(「蜻蛉日記」の首部)の有様を全的に表現できるとは思わなかった。どんなに細部にわたって書いても日記の限界上それはしょせん「かたそば」(世にあることのほんの一部)(同前)にすぎないことを知っていたからである。ここで式部は「そらごと」(虚言)を否定し、さらにその対立である「日記」(事実)を否定し、その両方の止揚の上に新しく真実(リアリテイ)という概念を立てた。物語はこの真実を表現する。どのようにして表現するか。
その人のうへとて、有りのままに言い出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人の有様の、見るにもあかず、聞くにもあまることを、後の世にもいひ伝へまほしきふしぶしを、心にこめがたくて、言ひおきはじめたるなり。よき様に言ふとては、よきことの限りえり出でて、人に従はむとては、又、あしきさまの、めづらしき事を取りあつめたる、みな、かたがたにつけたる、この世のほかのことならずかし。(同前)
これは世に経る人の有様の心にこめがたい感動(真実)を表現する方法として虚構を言っているのである。心にこめがたい内面の主題(コンフェッション)と、それを表現する虚構(フィクション)の方法との結婚は近代小説の特質をなす。「源氏物語」はまさに日本における最初の近代小説であった。しかしながら苦悩するひとりの女の魂の告白の記録「蜻蛉日記」がなければこの物語は生まれなかっただろう。虚構によって道綱母の特殊な告白は普遍化されて共通の所有となり、虚構によって孤独な魂は閉鎖的な世界から解放されることができた。なぜなら虚構によって、道綱母が現実に生きねばならなかった、ただ一回の特殊な経験は、そのほかに生きることができたかもしれない無限の可能性が与えられるからである。しかもその可能性は、根も葉もない「そらごと」ではなく、すべて作者の血を分けた分身によって経験される真実に根ざす可能性であったのである。これはまさに近代小説の属性である。