三好達治「甃(いし)のうへ」 と「竹河」


甃(いし)のうへ

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音<あしおと>空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂(ひさし)々に

風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
(「測量船」)

この詩は三好達治が東大仏文科の学生であった頃書かれたごく初期の作品であるが、このなかに、すでに彼の生涯の方向が予告されている。この詩の前半の中心モティフは「ながれ」である。「ながれ」は桜の花びらの命のはかなさであるとともに、それはまた時のまに過ぎゆく青春の華やかさの象徴でもある。後半の中心モティフは「しづか」である。「しづか」は過ぎ去った人生の終末の姿であるとともに、それはまたこの世から亡び去ったいっさいのものの或広大な「無」の世界の象徴でもある。詩人は少女たちの華やかな青春に背を向けて、ひとりわが身の影を古色蒼然たる甃のうへに歩ませる。終連の三行には時勢にそむいて、ただひとり亡びの世界へ歩いてゆく、なにかしんとした孤愁の影がただよっている。


つぎの文は玉鬘の娘大君と中君の美しい姉妹が、みだれ散る桜の花の下で花争いをしながら、和歌の唱和をする華やかな場面である。

君たち(姉妹)は、花の争ひをしつつ、明かし暮らし給ふに、風荒らかに吹きたる夕つかた、乱れ落つるが、いと口惜しう、あたらしければ(惜しいから)負けがたの姫君(桜を賭け物にして姉妹で碁を打ち姉の大君が負ける)
桜ゆゑ風に心のさわぐかな思ひぐまなき花と見る見る(桜のために風で気持が落ち着かないことです。身勝手な花と承知してはいるものの)
御かたの宰相の君(大君付きの女房)咲くと見てかつは散りぬる花なれば負くるを深き恨みともせず(咲いたかと思うと、一方ですぐさま散ってしまう花なのだから、負けて花を取られてしまうのもそう深い恨みにも思いません)
と、きこえ助くれば(応援してあげると)右の姫君(中君)
風に散ることは世の常枝ながらうつろふ花をただにしも見じ(花が風に散るのは、世の常ですが、枝ぐるみ私のものになってしまう花を平気ではごらんになれますまい。負け惜しみはおよしなさい)
この御かたの大輔の君(中君付きの女房)心ありて池のみぎはに落つる花あわとなりても我が方によれ(こちらに心があって池の水際に落ちる花よ、たとい泡となっても私たちの方に寄ってこい)(竹河)

ここのところは、先の「甃のうへ」の前半の部分に対応する。その後間もなく大君は冷泉院に、中君は内裏に参るが、大君は不幸な運命をたどる。華やかな花争いは幻のごとく消え去る。あまりにはかない青春のひとときであった。美しい大君にそこはかとない思いを寄せていた薫は、大君の院参を恨んで侍従(大君の兄)の許に一首の歌を贈る。

つれなくて過ぐる月日を数へつつ物うらめしき暮の春かな(冷たいお仕打ちを受けたまま過ぎ去ってゆく月日を数えながら、何やらうらめしい春の果てになりました)(同前)

この歌は無情に過ぎゆく春を惜しみながら、これをとどめることができず、春も空しく終わったことを恨む意であるが、裏には去りゆく大君を惜しみながら、これをどうすることもできない恨めしさがこめられている。薫は桜の花びらのように「にほひやかなる」(同前)大君の美しさに惹かれながら、彼の性格上その気持をどうしても積極的におしすすめることができない。なぜなら彼はもともと

世の中を深くあぢきなきものに思ひすましたる心なれば、なかなか心とどめて、行き離れがたき思ひや残らむなど思ふに(なまじ女に執着する心を起こしたりしては、未練が残ってこの世を離れにくいことであろうなどと考えると)わづらはしき思ひあらむあたりにかかづらはむは、つつましくなど思ひ棄てたまふ(面倒になりそうなあたりに関わりをもつのはさしひかえよう、などと断念していらっしゃる)(匂宮)

からである。彼は華やかな春の光に背を向けて、自らの暗い宿命の道をひとり歩いてゆくほかない。つい恨みがましい歌がもれる。

手にかくるものにしあらば藤の花松よりまさる色を見ましや(もし自分の手にかけることができるなら、松よりも美しい藤の花をただ遠くから眺めるだけですまそうか)
流れてのたのめむなしき竹河に世はうきものと思ひ知りにき(生きながらえて空しく消え去った期待に、世の中はつらいものとはっきり悟った)(竹河)

このような薫の姿は、ながれる花びらを浴びながら青春のなかを歩いてゆく少女たちに背を向けて、ひとりわが身の影を甃のうへに落としてゆく詩人の姿と重なる。なおついでに言えば故上田三四二の絶筆となった小説「祝婚」のなかに「甃のうへ」が出てくる。京都の博物館に「向かってくだる坂の道は、傾きそめた春の陽に明るく照っていた。(略)
道の両側の桜は日ざしを聚(あつ)めてうつくしい花の天蓋を連ねていた。(略)花蔭を歩く。(略)落花は舗道に彩りを点じて、そこここにあった。浮遊感が来た。道をうしない、どこかに迷い入ったかのようだった。往来(ゆきき)の人も影のように気配めいて感じられる。女子学生らしい一群が話しながら追い抜いていった。―呼び戻される意識の中で、一つの詩がよみがえる。」その詩が「甃のうへ」であった。それは彼が京都の三高の生徒であったころ、青年たちに広く読まれていた。「歌われている場所を彼は京都の禅寺の上に想像した。茶会でもあるのだろうか。寺庭の敷石を踏む着飾った娘たちに感傷を寄せた青春の日のこと」を今彼は思い出すのであった。