冷泉院と薫


両者は不義の子である点において共通するが、その生きかた、存在のありかたにおいて対蹠的である。ひと口に言えば俗と不俗、上昇的と下降的、楽天的と厭世的、源氏的と反源氏的といった本質的相違である。この相違は物語全体の主題から言えば、正編と続編の相違にほかならない。
院の出生は名目上の父桐壺帝をはじめとして、内裏・宮人を挙げての祝福をうけて迎えられる。若宮は源氏と「あさましきまで、まぎれ所なき御顔つき」(紅葉賀)をしているが、帝はそのことに何の疑いを持つことなく、ひたすら「疵(きず)なき玉と思ほしかしづく」(同前)のである。藤壺はひとり「御心の鬼にいと苦しく」(同前)思い悩むが、源氏は若宮が自分と瓜二つであるのを見て「わが身ながら、これに似たらむはいみじういたはしう覚え」(同前)る始末である。作者はそういう源氏を「あながちなるや」(同前)といわずにはおられない。それほど源氏には父帝に対する罪の意識はまったくない。以後若宮の立坊・即位まで、周囲の状況は必ずしも順調ではなかったが、その間、若宮(冷泉帝)は一度も自分の出生に対する疑いをいだくことはなかった。帝が出生の秘密を知ったのは母入道宮の死後のことである。その時夜居の僧が泣く泣く帝に奏したことは

天変しきりにさとし、世の中静かならぬはこのけ(帝が実の父を知らぬこと)なり。いときなく物の心しろしめすまじかりつる程こそ侍りつれ(帝が幼少で事情をご存じなかった間はともかく)やうやう御齢足りおはしまして(現在帝十四歳)何事もわきまへさせ給ふべき時に至りて、(とが)(不幸の罪)をも示すなり。よろづの事、親の御世よりはじまるにこそ侍るなれ。何の罪ともしろしめさぬが恐ろしきにより、思う給へ消ちてし事を(一旦は口外すまいと決心しましたことを)さらに心より出し侍りぬること。(薄雲)

これを聞いて帝は

故院(桐壷院)の御ためもうしろめたく、大臣(源氏)のかくただ人(臣下)にて世に仕へ給ふも、あはれに、かたじけなかりける事かたがた思しなやみて(同前)

とある。帝の悩みは、いちおう故院と源氏との両方にわたるが、その中心はいうまでもなく源氏である。そのことは僧の奏した言葉によっても明らかである。帝の悩みは、子として実の親を知らず、実の親を臣として遇することに対する罪の意識であって、自らの出生に対する罪の意識ではない。これは考えてみれば不自然なことと言わねばなるまい。一般に自分が不義の子であると知ることは、暗い宿命を背負ってこの世に生まれたという負い目の意識ではないだろうか。それが人間の自然というものではないか。この際帝を動かす原理は人間の自然ではなく、抽象化された孝の観念だけである。抽象化された観念だけで動く人間に、人間としての存在感が稀薄なのは当然だろう。譲位後の院に老いの翳がまったく見られないことは、あたかも源氏が老いをまったく知らなかったのと同じである。玉鬘の娘大君を懇望して兄たちの反対を押して無理に出仕せしめ、結果は彼女を不幸におとしいれながら(竹河)、なお懲りずさらに宇治八宮の姫君を所望する。その時院の思うことは

朱雀院の、故六條の院にあづけ聞え給ひし、入道の宮(女三宮)の御例を思ほし出でて、かの君達(八宮の姫君達)をがな、つれづれなる遊敵(あそびがたき)に、など、うち思しけり。(橋姫)

と書かれている。これはさりげなく扱われているが、院の人物を的確に言いあてている。院にとっては、女三宮の六条院降嫁によって、紫上がどんなに深い傷を負ったか、引いてはそのことによって「生ける佛の御国」と讃えられた六条院の栄華が無残に崩壊したことなどまったく視野の外にあった。院はこの時四十九歳であった。院はしょせん、源氏が六条院の主宰となり、准太上天皇の位を荘厳するための、ただそのためだけの美しい土偶にすぎなかった。


薫の出生は誰からも祝福されない。源氏からも、柏木からも、女三宮からも。五十日の祝いに薫を抱きとった源氏は次のように書かれる。

大方の世の定なさ(この時すでに柏木は死んでいる)も思し続けられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌すべき日をと、おしのごひ隠し給ふ。「静かに思ひて歎くに堪へたり」と、うち誦し給ふ。五十八を十とりすてたる御齢なれど、末になりたる心地し給ひて、いとものあはれに思さる。(柏木)

薫は幼少の時から自らの存在に懐疑的で、「いかなりにける事にかは。何の契にて、かう安からぬ思ひ添ひたる身にしもなり出でけむ」(匂宮)と思わずにはおられない。そして長ずるにおよんで「おのづから世の中にもてなされて、まばゆきまではなやかなる御身の飾りも、心につかずのみ、思ひしづまり給へり」(同前)という思いだけが強くなってゆく。薫がはっきり出生の秘密を知ったのは、父柏木遺品の文殻を見たときであった。

かかる事世にまたあらむや、と、心ひとつにいとど物思はしさ添ひて、内裏へ参らむと思しつるも、出で立たれず。宮(母三宮)の御前に参り給へれば、いと何心もなく、若やかなるさまし給ひて、経読み給ふを、はぢらひてもて隠し給へり。何かは(何で両親の秘密を)知りにけりとも知られ奉らむ、など、心にこめてよろづに思ひ居給へり。(橋姫)

このとき薫は、はっきり自分はこの世に生まれてくるべき人間ではなかった、という罪の意識に到達している。ここにはすでに光に背いて、すべてを喪わなければならない負の人生がくろぐろと予告されている。時に薫二十二歳であった。