「舞踏会の手帖」と「源氏物語」 3
三、夕顔
源氏と夕顔との出会いも現象的には、空蝉の場合とまったく同じく偶然であった。しかしすこし立入って本文を読んでみると、両者の間にはかなり大きな違いがあることが見えてくる。先走って言えば、空蝉の場合は源氏とは直接関係のない外発的偶然であり、夕顔の場合は源氏と直接関係のある内発的偶然である。
方違えという偶然によってもたらされた空蝉との出会いは、当然源氏に昨夜の品定め談義の「受領と言いて、人の国の事にかかづらひ営みて、品定まりたる中にも、またきざみきざみありて、中の品のけしうはあらぬ、選り出でつべき頃ほひなり(それぞれ段階があって、中流として見苦しくないのを選び出したい御当世である)」という馬頭の言葉を思い出させ、好奇心から無理に一夜の契りを結ぶ。しかし女は一度許しただけで、その後は剛情に避ける。ここまでで「帚木」の巻は終わる、ということは、源氏と空蝉との契りは「雨夜の品定め」の多くの経験談と同じ次元のものであって、それは結局男の側の論理で一括されていることになる。しかるに「空蝉」の巻はそうではない。女の側の論理でくくられている。ここではもはや女は男の自由にはならない。たとえどんな権力でも、身分でも、財力でも、美貌でも、一人の人間としての女の意思を自由にすることはできない。「空蝉」の巻は次のように始まる。
寝られ給はぬままに、われは(源氏)かく人に憎まれてもならはぬを(他人に憎まれた経験もないのに)今宵なむ、はじめて憂しと世を思ひ知りぬれば、はづかしくて、ながらふまじうこそ(とても生きて居られぬような気持に)思ひなりぬれ。(空蝉)
この時から源氏の気持は、たんなる中の品の女への好奇心から、一人の女への執着へ変わる。
君は心づきなしとは思しながら、かくては止むまじう御心にかかり、人わろく思ほしわびて云々。(同前)
しかし執着は愛情ではなく所詮意地である。
夕顔との出会いは、空蝉に比べれば、はるかに憂愁にみちている。源氏は重く病む乳母を五条の家に訪ねるが、惟光が門の鍵をおき忘れたために家に入ることができず車中で待つ。源氏は車からすこしさしのぞくと
ものはかなき住まひを、あはれに、いづこかさして(「世の中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞ宿と定むる」古今集十九雑下読人知らず)と思ほしなせば、玉の台(うてな)も同じことなり。きりかけだつものに、いと青やかなる葛(かづら)の、心地よげに蔓(は)ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑(えみ)の眉開けたる。
(源)「遠方人(をちかたびと)に物申す(「打渡す遠方人に物申す我そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」古今集十九旋頭歌)」とひとりごち給ふを、御随身つい居て(随)「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ、咲き侍りける」と申す。げにいと小家がちに、むづかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどに、蔓ひまつはれたるを、(源)「くちをしの花の契や。一ふさ折りて参れ」と宣へば、この押しあげたる門に入りて折る。さすがにざれたる遣戸口に、黄なる生絹の単袴、長く着なしたる童の、をかしげなる、出できて、うち招く。白き扇の、いたうこがしたるを(薫物でひどく薫きしめてあるのを)「これに置きて参らせよ。枝もなさけなげなめる花を」とて、取らせたれば、門あけて惟光の朝臣出できたるして、奉らす。(惟光)鍵を置きまどはし侍りて、いと不便なるわざなりや。(夕顔冒頭部)
ながながと引用したのは、夕顔との出会いの次第・状況・気分がほとんど全部書きこまれいると思われるからである。その文章の調子は出会いのよろこびを語るにふさわしくなく、反対に別離のかなしみを語るにふさわしい。それは結局藤壺や空蝉に近づくことのできない源氏の心象風景であることに因るのかも知れない。
先の一ふさの夕顔の花が置かれた白い扇には女手で次の歌が書かれている。
心あてにそれかとぞ見る白露のひかりそへたる夕顔の花(当推量に源氏君かと思った事です。白露が光を一入加えた夕顔の花のような美しいあなた様を)。なお「心あてにそれかとぞ見る」の「それ」を頭中將と見る説も古来あるが、今は多少の無理はあるとしても通説にしたがって源氏としたい。
さらりと書き流された筆蹟が意外に上品なので源氏はひどく興味を惹かれる。そして次の歌を返す。
寄りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔(もっと近寄って見てこそその人ともわかろう、夕暮時にぼんやり見た夕顔の正体は)。(同前)
秋に入って源氏は名前を明かさないまま夕顔の許へ通う。女も名前を明かさない。源氏の熱中ぶりは、
かかる筋は、まめ人の乱るる折もあるを、いとめやすくしづめ給ひて、人のとがめ聞ゆべきふるまひはし給はざりつるを、あやしきまで、今朝の程昼間の隔もおぼつかなくなど、思ひわづらはれ給へば、かつはいともの狂ほしく、さまで心とどむべき事のさまにもあらず、と、いみじく思ひさまし給ふに、人のけはひ、いとあさましく柔かにおほどきて、もの深く重き方は後(おく)れて、ひたぶるに若びたるものから、世をまだ知らぬにもあらず、いとやむごとなきにはあるまじ、いづくにいとかうしもとまる心ぞ、と、かへすがへす思す。(同前)
かくて二人はたがいに相手を確認することなく、最後の八月十五夜を迎える。 (つづく)