丸進 秋田 八郎湖佃煮

有限会社 丸進 は、多くの方々のご支援、ご愛顧により営業を続けて参
りましたが、都合により2009年2月28日限りで閉鎖いたすこととなりました。
これまで当社にご芳情をお寄せ下さいました方々に謹んで廃業のご挨拶を
申し上げますと共に、お寄せ下さいましたご芳情に対しまして厚く御礼申し
上げます。
 土井晩翠の句、栄枯は移る世の姿・・・ このページは往時のままに残し、
暫く掲載させて頂きたいと思います。


写真 左の写真およそ100年前のもの、
画像処理の拙さ、ご免蒙ります。

その昔、東京佃島の中村瀧松先生
が秋田の我が家を訪れ佃煮の製法
を伝授されました。
八郎湖において今も昔も変わらぬ
佃煮を作っています。
イラスト 添加物使用なんてトンデモナイ
ヘルシーでトッテモ美味しい
本ものだから
調味材料も厳選した無添加のもののみです。
だから納得!!
表彰状 平成九年度厚生大臣表彰の栄に
浴す

クリックで額はそれぞれ内容表示されます。我が社のモットー




男鹿市船越 国道101号線沿い男鹿大橋寄り
平成21年2月28日に閉鎖し、
現在営業致しておりません。











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江戸前元祖佃煮処 株式会社佃茂
ヒゲタしょうゆ(株) の ホームページ
レッツエンジョイ東京
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佃煮の歴史 【 つくだ煮の起源 】
 
  佃煮の発祥 

  佃煮は「江戸名所図絵」にもある隅田川河口の佃島において天保年間1830年頃
 に創製されたと云われております。

  その昔この佃島は、徳川家康が江戸開府後、摂津国佃村(現在の大阪府西淀川
 区佃)の名主森孫右衛門と漁師34人を招きこの地に住まわせ、故郷の名をとり名
 付けられたと云われます。

  家康は本能寺の変の難を逃れるために西回りをとり、森孫右衛門らに船の便を
 図らせ帰国を果たしたと云います。なお家康が佃村滞在において、ここの漁法に
 深い関心を得たものと云われます。のちに、この漁師達には江戸における海と川
 の漁業権を与え将軍家代々御用の鮮魚の献上に務めさせたと云われています。

  佃煮は初め、佃島の漁師達が網に入った小魚を醤油で煮しめて、保存用副食物
 にしていたものです。これがたまたまこの地を訪れる人たちに見出され、江戸人
 士の好みにも合って次第に商品化され地名にちなんで佃煮と呼ばれるようになっ
 たものと云われます。
                           (参照) 株式会社佃茂のしおり

 
 八郎湖佃煮の発達

  八郎湖は昔よりその豊富な魚介類を沿岸住民に与え潤していたものです。白魚
 わかさぎ、はぜ、あみ、海老などが、色々な漁法を用い四季を通して水揚げされ
 ていました。

  江戸中期の菅江真澄の紀行文に、氷の下に網を入れて曳いて獲る「氷下網曳き
  漁業」が冬の風物詩として詳しく記されています。

  以前は、獲れた小魚を素干し、又は煮干しにして内陸山村の地に売られていた
 ものです。明治中頃より地醤油で煮込んだ保存食が作られるようになりました。
 なお、県の育成もあり、佃煮発祥の地、東京佃島に製法を学ぶようになって、八
 郎湖佃煮は発展したものです。

 調べによるところ
 * 明治33年秋田県水産試験場が創設され、以来伝習指導と佃煮試験が行われ講
     師には東京佃島、茨城県土浦町から招聘。
 * 県で明治39年頃、佃煮製造に不可欠なる醤油生産技術の改善に、千葉県野田
   から技師を招き講習会を開催。
 * 大正7年、大久保村で第2回佃煮製造技術講習会開催。講師は東京佃島の中村
    某とあり、伝習生は地元大久保中心に、浜口、船越、大川、鹿渡から集まる。
 などの記録があります。


[佃煮の種類]