「四季」は”春”だけではないのです




ヴィヴァルディの「四季」”冬”と転調の技

そして日本のヒット曲での転調の歴史






  「四季」といえば、名曲中の名曲として知られています。題名を聞くだけで、メロディが頭の中に浮かんでくるほどです。

しかし、そこに浮かんでくるのは、「春」の冒頭のメロディ、という人が殆どではないでしょうか。確かに、そのメロディは、美しく、親しみやすいことにかけて、史上最高クラスと言えます。


でも、「四季」には夏も秋も冬もあります。このうち、「冬」の第2楽章「ラルゴ」を聴いてください。


・協奏曲集「四季」


実はヴィヴァルディは、「四季」という曲は作っていません。

彼は、協奏曲をたくさん作りました。題名はついていないものも多く、「○○協奏曲○○調作品○○番」などと呼ばれます。協奏曲を1曲しか作っていなければ、「パッヘルベルのカノン」のように、「ヴィヴァルディの協奏曲」という曲名になるのでしょうが、「ヴィヴァルディの協奏曲」は何百とあって、それだけでは区別がつかないので、このとっつきにくい呼び方をされます。中には、わかりやすい標題がついているものもあって、「喜び」「狩」「恋人」...こういうのは記憶に残りやすいですね。そういう中に「春」「夏」「秋」「冬」という標題の曲があります。つまり、それぞれが、独立した曲なのです。

協奏曲「春」、協奏曲「夏」、協奏曲「秋」、協奏曲「冬」を、連続して演奏したり、1枚のレコードにまとめて録音したりするときに、「四季」と呼ばれたのが、定着しました。「四季」でひとつの協奏曲、ではなく、「協奏曲集」です。とはいうものの、最初に楽譜を出版するときに、この4つは、楽譜集の始めの4曲として、つながって印刷されていたので、作曲者自身、4曲の間に関連性はあると見なしていたようです。



・協奏曲とは


「協奏曲」とは、合奏パートとソロ楽器による編成の音楽。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲『皇帝』」など、有名な曲がたくさんあります。オーケストラをバックにアリアを歌うプリマドンナの役を、1台のピアノとかヴァイオリンとかが務めている、と例えれば、なんとなくイメージがわくでしょうか。

「四季」でその役を務めているのは、1台のヴァイオリンです。

ヴィヴァルディはパッヘルベル同様、バッハ以前の古い時代の人です。この時代の協奏曲は、合奏パートもそれほど大きくはありません。曲の規模も、後世の大曲に比べたらかわいいものです。

普通、協奏曲は、「速い楽章」「ゆっくりとした楽章」「速い楽章」の3つの楽章から出来ています(3番目が「もっと速い楽章」になることも、多くあります)。

この構成は、後の時代の大作でも受け継がれています。

つまり、「春」だけで、3つの曲から出来ていて、それは他の季節も同様です。



・協奏曲の組み立て 「春」を例に


有名な「春」の最初のメロディは、言うまでもなく「第1楽章」の最初ですから、テンポも速く、春の到来を宣言するような勢いを持っています。続く「第2楽章」は、うららかな日差しの中でまどろむ羊飼いを表現し、本当に気持ちよい眠りに誘われそうなゆったりとしたテンポの音楽です。「第3楽章」は、第1楽章よりもっとアップテンポで、春の訪れを喜び踊る人々の音楽。このイメージはヴィヴァルディ自身が楽譜の中に書いているものです。1曲の協奏曲の中には、様々な音のドラマがあります。聴き終わった時、ひとつの物語を見終えた、読み終えたような充実感があります。



・そして「冬」


さて、今聴いて頂いているのは、「冬」の「第2楽章」です。「第2楽章」という固い呼び方の代わりに、テンポ指定の言葉である「ラルゴ」を曲名のように使うこともあります。「第1楽章」が、木枯らし吹きすさぶ冬の厳しさを、速いテンポで駆け抜けるように描いていったあとを受けて、気分一転、弦を指ではじくピチカートを奏でる合奏パートの音色に乗って、ソロヴァイオリンがうたいはじめます。なんという暖かさでしょう。

楽譜に書かれている情景は、外の厳しさとはうらはらに、室内で暖をとる人々です。そういえば、弦のピチカートは暖炉の中で炎がゆらめく様子を思い起こさせます。恵みの雨が万物をうるおすように、ソロのメロディがしみ込んできます。

第1楽章から続けて聴くと、冷えた体が暖まっていく幸福感を実感できます。

このあと、曲は、「第3楽章」へ進み、冬の寒さに負けず、氷の上ですべって遊ぶ人々を描いていきます。


「夏」「秋」にも、それぞれの季節の情景が丁寧に描かれています。

機会があれば、ぜひ、「春」「夏」「秋」「冬」、それぞれの季節の中にあるドラマをじっくりと味わってください。



・転調による新鮮さ


さて、この曲に関して特筆したいのが、「転調」です。

この曲は、1回弾き終わったメロディをまた始めから繰り返しています。実際は、全く同じではなく、メロディの後半は1回目とは違う工夫がこらされています。驚くのは、1回目と全く同じように弾いている出だしのメロディさえ、2回目では、1回目とは違う調で弾くという工夫がされています。しかし、そこで転調した感じは全くありません。当然です。そこで転調したのではないのです。1回目のメロディの途中で、転調は完了しているのです。

一体どこで転調したのでしょうか?
曲が始まって、メロディが短く切れるところが2回あります。そのあと、ターララ・ラーララというリズムを何度も繰り返します。この繰り返しが終わったとき、曲は転調しかかっています。そのあとララララーというリズムを繰り返す時に、完全に転調しています。スタート時は変ホ長調、転調のあとは変ロ長調です。

そして、さらに、2回目にメロディを弾いている間に、もとの変ホ長調に戻リます。

鮮やかです。

聴く人は、転調を意識していなくても、再び奏で始められたメロディを、「またか」ではなく、新鮮な気持ちで聴いているはずです。



・ヒット曲での「転調」は何のため?


「転調」の技法は、日本のヒット曲の中でもさかんに使われています。カラオケで、歌っている途中、「高すぎて歌えない」ときに、下げるキーを押すと、同じ曲なのに音が下がります。演奏している「調」が変わったのです。その瞬間、何か曲の感じが変わったような気がします。こういう効果を意図的に狙って、転調が曲に取り入れられるようになりました。


古くからよく使われていたやり方は、曲の最後の最後で、サビのメロディを繰り返すときに、半音か全音上げる、というやり方です。すでに聴く人の頭に入り込んでいるメロディを、最後にダメ押しのように元のキー(調)よりちょっとだけ上のキーで繰り返すと、さらに気分が盛り上がります。ノリのよい曲で、「これが最後だから最高に盛り上がろう」という気分にもなりますし、'73年の小坂明子「あなた」では、しっとりとしたバラードで、最後に思わず感情を昂ぶらせてしまった、という効果を出しています。

長調から短調に、あるいは短調から長調に転調すると、曲の気分をがらりと変えることができます。一般的に、短調のメロディは悲しげに、長調は明るく感じられます(単純に断定はできないのですが)。 太田裕美「赤いハイヒール」('76年)は、1コーラスの前半が短調、後半(サビ)が長調という構成をとることで、前半の、都会の生活に疲れて夢を失いかけている少女のつぶやきに対して、後半、「そういう君のままでいい」と語りかける青年の言葉を、劇的に力強いものにしています。

「赤いハイヒール」は、短調の部分と長調の部分がくっきりと分かれていて、その対比が劇的な効果を上げていましたが、曲のひとつながりの流れの中で、気分の変化に合わせて転調することを広めた功労者は荒井=松任谷由実でしょう。初期の作品(上の2曲とそう違わない頃です)「中央フリーウェイ」「12月の雨」で、どこの調に落ち着くのかもわからない転調を繰り返して、愛情が壊れて行くかも知れないという不安な気持ちを表しています。あからさまに悲し気なサウンドを作るのでなく、このような不安定な音の流れで「一見幸せそうな中に複雑な感情を表現する」という技法をとったのは画期的なことでした。のちにアイドルに曲提供した、「赤いスイトピー」(松田聖子)では、長調の曲の中にほんの少しの間だけ短調でメロディが流れる部分を作り、「時をかける少女」(原田知世)では、長調と短調がめまぐるしく入れ替わるメロディで、少女の揺れ動く心を表現しています。


'80年代後半から'90年代前半にかけて、日本のヒット曲の中で転調が大流行しました。

だんだん、曲が大掛かりになり、ドラマ性が追求されるようになると、そのために様々な技法が凝らされるようになります。転調はうってつけの材料でした。X japan「Say Anything」は、演劇を一本見たようなドラマ性を感じられる曲ですが、間奏でギターの弾くメロディが次々と転調していって気分を高揚させます。

CHAGE & ASKA「SAY YES」では、ひととおりAメロを聴かせたあと、Aメロを繰り返し始めたと思ったら突然立て続けに転調し、始めと違う調に一応落ち着いてそのまま曲が終わるかと見せかけて、唐突に本来の調でサビを歌いはじめる、という展開で、それに合わせての気分の変化は、まったく油断しているときに突然不安に突き落とされ、とりあえずは知らない場所に居所を作ってそれで納得させられるのかと思ったら、また突然、本来の居場所に帰れて、そこで揺ぎ無い安心感を与えられる構成になっています。いやお見事。まさに、「不屈の愛情」が音の中でも表現されています。


ところが、転調で気分を変化させることが浸透するうちに、人々は転調の刺激に慣れてしまったようです。意表を突く転調であればあるほどもてはやされる、という時代が来ました。1コーラスが終わるまでの間で力ずくみたいに3回も4回も転調してみせる曲がミリオンセラーになったりもしました。

さらには、曲の組み立ても、リズムも、調も違ういくつかの曲を無理やりつなぎあわせてひとつにしたような作りの曲が一世を風靡するようにもなりました。その中には、それを表現方法として活かして、思わずはっとする興味深いものも確かにありましたが。

そんな時代の立役者が、小室哲哉ですが、その作品、「Can You Celebrate?」(安室奈美恵)は、時代が生んだ最良の成果と言えるでしょう。結婚式で歌われる定番ともなったこの曲では、くっきりと力強いサビのメロディと、あやふやな音型で調性感もあいまいな音を奏でるいくつかの部分が交互に表れます。あやふやさを越えて、サビのメロディが出てくるたびに、より未来への確信を深めていくように、響きます。


しかし全体として、人々が転調という刺激に慣れて、より強い刺激が欲しい、ということが過剰に追求された時代だったように、私は感じています。


そんな時代も、そう長くは続かず、終わりました。


その後、人々の間では、音楽に、刺激より、安心、とか、やすらぎ、とか、そう、ちょっと前に流行った言葉でいえば、「癒し」が求められるようになっている気がします。

転調は、かつてほどではないにせよ、今も盛んに使われています。しかしそれは、唐突な刺激のためではなく、ありふれたメロディにならないための新鮮さを追求する糧として、新しい道を模索されているように思います。

そんな今、ヴィヴァルディの転調を改めて見直してみるのはどうでしょう?



・このページのアニメと演奏について


ウィンドウズが普及し始めた頃、音楽に合わせて画像を動かすことが、「マルチメディア」と称して一部の間で流行しました。その可能性に興奮した私たちは、取り憑かれた様に画面と音楽をシンクロさせる試みに興じました。本作は、この当時、fillyというソフト上で動作する作品として作ったものです。つたない絵ですが、仕掛けを楽しんでもらえたらと思って作りました。それを、今回、ウェブ上でそのまま楽しめるように、gifアニメにしてみました。

曲データの方は、当時はMIDIの音楽データは自分で音源を購入してパソコンに接続している人しかまともに再生できなかったものですが、今はウィンドウズに音源が内蔵されてそれなりに聴けるようになりました。その頃は、あまり細かい表現にこだわると、自分と同じ機種の音源を持っている人以外には伝わらない、もしかすると、かえって、とんでもないものに聞こえてしまうおそれがあったので、こういう形で配布するデータにはあまり表情付けなどしないようにしていました。その事情は今も変わっていませんが、少なくともウィンドウズの内蔵音源のままで聴いている人には、表現が伝わる可能性が高くなったので、思い切って、その音源に合わせて調整し直しました。その環境では、より豊かな音楽に聴こえるよう、精一杯のことをしたつもりではいます。それ以外の環境(外部音源を付けたり、マッキントッシュなど非ウィンドウズ環境)で聴いている方は、どう聞こえるか教えて頂けるとうれしく思います。

プログラム的には、元のデータでは、雪小僧たちが、再生するたびに違う降り方をする仕掛けになっていました。gifアニメだと、見て頂いているようにパターン化されてしまいます。本来の形とは違うのですが、しかし、こうすることで、埋もれていたものが、より多くの人の目に触れるようになるかな、と、過去の自分に、ごほうびをあげることにしました。

楽しんで頂けたでしょうか?



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