表紙
(中央上部 その他に 紙魚 〈しみ〉 の跡)


目 次


 題辞         (参議 菅原世長)

 自叙            (竺顕常)

 李于鱗 序


 巻一  五言古詩 十四首

 巻二  七言古詩 三十二首

 巻三  五言律詩 六十七首

 巻四  五言排律 四十首

 巻五  七言律詩 七十三首

 巻六  五言絶句 七十七首

 巻六  七言絶句 百六十八首


 補遺


見返し  (紙魚の跡が貫通している)
  右上の朱印 : 「東叡王府蔵版」
右下の朱印 : 「翻刻必究」
題辞 (菅原世長)
本文 (巻一)
77
竺顕常 「唐詩解頥」


 寛政12 (1800) 年 増補版、東叡王府。  (初版は、安永5 (1776) 年)
 線装、2冊 (各65葉および75葉)。 縦 22.5 cm、 横 12.5 cm。


 唐詩は我が国で古くから親しまれてきたため、その選集および注釈書、解説書の類は汗牛充棟で、今も続出している。
 本書 「唐詩解頥」 は、唐詩の代表的な選集の一つである 「唐詩選」 に江戸時代中期の学僧・竺顕常が 漢文で 注釈を施したもので、刊行以来長く利用され、後続の注釈書等の拠り所ともなった。 今日まで続く唐詩愛好ブームの形成に、大きく貢献した書である。

 原書の 「唐詩選」 は、明の文学者・李攀竜 (字は于鱗、1514~1570) が編集したとされる選集で、唐の詩人127人の作品465首を、古詩・律詩・排律・絶句の各詩体に分けて収めている。
 この 「唐詩選」 は、復古主義文学運動の旗手・李攀竜の人気と相俟って、初めは大いにもてはやされたが、清朝の学者の考証によって、李攀竜の死後にその名声を騙った書肆の偽撰であったことが明らかにされたため、評価が低下し、中国ではあまり行なわれなくなったようである。
 しかし 我が国では、江戸時代の初めに渡来して以降、唐詩の選本としては最も盛行し、愛読された。 これは、「唐詩選」 が、上記の各詩体および各時期 (初唐、盛唐、中唐、晩唐) の詩を適切に選択していて、名作が網羅されていたからである。

 我が国における注釈書としては、本書に先行して 服部南郭の 「唐詩選国字解」 があり、本書の後を承けたものとしては 戸崎淡園の 「箋註唐詩選」、森槐南の 「唐詩選評釈」 、池田蘆洲の 「唐詩選詳解講義」 など多数がある。
 これらの中で、本書は最も傑出したものとされてきたが、今日では少数の専門家以外には知られていない。 これは、本書の注釈が漢文によるものであり、そのことと関係するが、江戸時代の刊本のみで行なわれて、明治以降に活字本で再刊されることがなかったためであろう。

 本書の注釈者・竺顕常 (享保4(1719)年~享和元(1801)年) は、近江出身の臨済宗の僧で、京都・慈雲庵、南禅寺などで修業する傍ら、儒者・宇野明霞に学んで儒学、詩文に精通。 このため、幕府の命により対馬に至り、朝鮮修文職として外交文書の作成に当たったこともあった。 僧としては、相国寺の第113世の住持となり、大典禅師あるいは蕉中禅師と称される。

 後掲の 「自叙」 で説明されているように、顕常は既に 「唐詩選」 の注釈書として 「唐詩集注」 を著していたが、本書 「唐詩解頥」 は、この 「集注」 の精粋を採って簡約化するとともに、不充分な点を修正したものである。

 書名における 「解頥」 (おとがい(=あご)を解く) とは、「感嘆のあまり、開いた口がふさがらない」 ということで、能動的には、鮮やかな言説・行動で 「人を唖然とさせる」 という意味になる。
 漢の匡鼎が 「詩経」 の講義をして 「人の頥を解いた」 という記事 (「漢書・匡衡伝」) が、その典型的な用例である。
 したがって、この書名には、読者をそのように心底から納得させようとする、顕常の強い意欲が表明されている。

 その注釈は、当時のやり方が大体そうであるように、「唐詩選」 原文に対する割注として示されている。 原文が割注によって分断されるので読みづらいが、当時の人は慣れていたことであろう。
 注釈は一見するとはなはだ詳細であるが、今日の注釈のように至れり尽くせりのものではない。 例えば、故事の類は、単にその出典を示すだけであり、読者は改めてその出典に当らねばならない。 しかし、その方が新たな学習の機会を与えるわけであるから、かえって親切なのかもしれない。
 注釈中、ひと通りの説明を行なった後に、〇印を付して更に別の説明を加えている場合がある。 この 〇印部分の説明は、やや専門的な考察に属するもののようである。

 注釈のほかに、顕常によって原書に加えられた工夫が二つほどある。
 一つは、各詩体における作者名の上に、その時代を示す 「初唐」 「盛唐」 「中唐」 「晩唐」 の語 (白抜きの円形記号) を添えたことである。 作者はもともと時代順に配列されているので、その時代の最初の作者についてのみの表示である。 「無名氏」 のように時代が不明な人々は、「雑」 とされている。
 もう一つは、原文を理解しやすくするために、文字を補充したことである。 詩は極度に簡略した表現をとり、文法的な飛躍が生じがちであるから、文字を補って論理構造を整え、意味を疎通させたのである。
 注釈における特徴点も含め、これらの点については、「一部紹介」 の中で具体例を示すこととしたい。

 この寛政12年増補版では、巻末に 「補遺」 9葉が追加されている。
 「補遺」 は、① 特定の詩句 (37の句) についての新解釈の提示、② 「李于鱗序」 に関連した独自の詩論の開陳、の2部分から成り、それぞれ充実した内容を有する。
  ① の新解釈の例を、一つだけ示しておく。 杜甫の七言古詩 「飲中八仙歌」 で李白を歌った部分の 「天子呼來不上船 (天子呼び来れども舟に上らず)」 という有名な句について、「不上船」 とは俗語で、単に 「片意地を張って意に従わない」 という意味である、との説を紹介している。 つまり 「船」 の概念との関係に限定されないわけで、この説を採れば、玄宗皇帝の舟遊びに誘われたときの出来事とする従来の状況設定は不要となり、より自然な解釈が成立することになる。


 右の見返しにおける 「東叡王府蔵版」 の表示は、東叡山寛永寺に住職として赴任していた皇族 (法親王) が、本書刊行のスポンサーであったことを示している。 安永5年当時は公遵法親王 (中御門天皇の皇子) であったと思われるが、後掲する菅原世長の題辞によれば、この人物が顕常の著書に肩入れしてスポンサーとなったようである。
 なお、その下の 「翻刻必究」 (翻刻は必ず究む) は、海賊版の出現を牽制する常套の語である。


 今回の 「一部紹介」 には、まず 題辞および自叙 の部分を掲げ、次に 本文 (原詩とその注釈) として、冒頭の有名な作品、魏徴「述懐」 (五言古詩) を掲げる。
 … 自序と本文との間にある 「李于鱗序」 は、岩波文庫の 「唐詩選」 (前野直彬・注解) に現代語訳が掲載されているので、省略する。
 ( 「唐詩選」 の原書では 「唐詩選序」 となっているが、偽撰者が李攀竜の文集中の 「選唐詩序」 という文章を抜き出し、題を改めてここに据えたのであるという。)

 「題辞」、「自叙」 および 「述懐」 は、 いずれも原文 (漢文) を刊本の訓点に従った訓読文で示すこととした。 ただし、訓点にそのまま従うと意味が通じにくい場合には、適宜 送り仮名を補充し、あるいは助字部分を省略するなどした。
 また 「述懐」 については、まず詩の原文および訓読文を掲げ、その後に注釈 (対象語および注釈文) を一括して掲げる。 つまり、現在ふつうに行なわれている注釈スタイルに改めた。



本書の一部紹介





題辞 および 自叙



唐詩解頥題辞

大典禅師、向(さき)に既に 「唐詩彙(集)注」 を著す。 援引該博たり。 尋(つい)で、更に 「解頥」 七巻を撰す。 繁を刪(けづ)り、要を擷(つみ)て、風旨(教え示す)を発揮す。 嗚呼(あゝ)、禅師の文に於ける、その緒余(学識の一部)の已何(なん)ぞ学者(学ぶ者、学習者)に恵むこと、深切(適切) 著明(明解)なるや。 夫(それ)、注疏家の衍(ていねいさ)を尚(尊)べば、学者 其の要を難くし、簡を尚べば、学者 其の審を難くす。 乃(すなは)ち今、唐詩に二解有らば、蓋(なん)ぞ罄(尽)さざる無からん。 是より先、東叡大王 「彙注」 を賜ひて、之を府中に刊せしむ。 今また 此の書を進むるに、則ち 命有ること初めの如し。 余、不敏(英敏でない)と雖(いへど)も、其の端に再叙し、海内の詩を学ぶ者をして、必ず益を二解に求むるを知らしめんとす と云ふ。
 安永丙申(五年、1776年) 三月 丁丑
                参議 菅原世長 題す



自 叙

(およ)そ古人の詩を解するは、字より句へ、句より章へと、必ず其の訓を審にし、其の調を叶(ととの)へ、其の情意を承け、其の事故を覈(しら)べ、反復 諷玩(そらんじて味わう)、氷泮然(氷が溶けるような状態)たるが如くにし、而(しか)る後に已(や)む。 一解を得ること有れば、輒(すなは)ち忻(欣)然とし、以て 未だ発(明らかにする)せざる所を発すと為し、此を考へて彼を繹(たづ)ねず、其の通ずる所を持し、以て其の未だ通ぜざる所を軋(むりに当てはめる)し、一意に引き合はせんとするは、此れ 注疏家の病にして、独り詩のみならず。 古を善解するの要は、己を虚しくして、以て一解を得ること有るを待つに在り。 姑(しばら)く是を舎(お)き、反(かへ)りて改(あらた)に考繹し、之を思ひ又思ひ務めて、其の長に就く。 隻辞も賸(むだ)と為さざらんことを欲し、片言も梗(ぎごちない)(た)らざらんことを欲す。 夫れ然る後、古人の言を措く所以の、必ず我において怡然(完全に理解して快感を得た状態)たる所有り。 向(さき)に、余、「唐詩集注」 を著す。 既にして、其の英を搴(取)り、其の腴(ゆたかさ)を味はひ、其の要提を取り、間(まま) 或は、一二 前注の罅漏(欠陥)を補し、因て 「解頥」 七巻と為し、以て学者に便にす。 編成り、数語を弁じ、申する(述べる)に 詩を解するの法を以てす。 咨虖(ああ)、奚(なん)ぞ 独り詩のみならんや。
                淡海(近江) 竺顕常 題す




本文 (巻一 五言古詩)



(初唐)* 魏 徴        述 懐


中原還逐鹿     中原 また 鹿を逐ふ

投筆事戎軒     筆を投じ 戎軒を事とす

縦横計不就     縦横の計 就(な)らざるも

慷慨志猶存     慷慨の志 猶 存す

杖策謁天子     策(つゑ)を杖(つき)て 天子に謁し

驅馬出関門     馬を駆て 関門を出づ

請纓繋南越〔王〕**  纓を請て 南越〔王〕をくく

憑軾下東藩     軾に憑(より)て 東藩を下さん

鬱紆陟高岫     鬱紆として 高岫に陟(のぼ)

出没望平原     出没 平原を望む

古木鳴寒鳥     古木 寒鳥鳴き

空山啼夜猿     空山 夜猿啼く

既傷千里目     既に 千里の目を傷しめ

還驚九折魂     また 九折の魂を驚す

豈不憚艱險     豈(あに) 艱険を憚ざらんや

深懐國士恩     深く国士の恩を懐ふ

季布無二諾     季布に 二諾無く

侯贏重一言     侯贏は 一言を重んず

人生感意氣     人生 意気に感ず

功名誰復論     功名 なんぞ論ぜん


* ( 「初唐」 は、顕常による追加。)
述懐
唐の高祖、武徳八年(625年) 魏徴に山東を宣慰せしむ。 此れ蓋し、東のかた潼関を出る時作る所ならん。 「唐詩紀事」 に、題を 「出関」 に作る。
中原
中国を謂ふ。
循環の義。
逐鹿
「史記」 蒯通の語に、鹿を国家に比す。 此れ、隋末の乱に、群雄並に起ち 相争ふを指すなり。 〇 按ずるに、鹿の音は禄に通ず。 いわゆる天禄なり。
投筆
後漢の班超、筆を投じ歎きて曰く、 「大丈夫は、当に功を立て以て封侯を取るべく、安(いずく)んぞ能く筆研を事とせんや」 と。
事戎軒
兵車なり。 文を舎(捨)て武を務むるを言ふ。
縦横
南北を縦とし、東西を横とす。 戦国の時、六国は東に在りて南北に亙り、秦独り西に居る。 蘇秦は六国に説き、合せて秦を擯(排斥)せしむ。 故に合従と曰ふ。 張儀は秦の為に六国に説き、西に秦に連らしむ。 故に連衡と曰ふ。 従は縦に通じ、衡は横に通ず。
計不就
群雄に遊んで事の功を成さざるを謂ふ。
慷慨
激昂の意。
志猶存
(つひ)に唐主に帰する所以(ゆゑん)
杖策謁天子
(後漢)の光武(光武帝)河北を安集(平定)す。 鄧禹 策を杖て追求(あとから追いかける)し、帝の徳を称し、己の志を叙(の)ぶ。
請纓繋南越〔王〕
漢の終軍(将軍の名)南越に使す。 「願くは長き纓(冠のひも)を受け、必ず南越王を覊(つな)ぎ、闕下に致さん」 と請ふ。
** ( 「王」 は、顕常が補った字。)
據なり。
車前の横板。 未だ車を下りるに及ばずして、功 成るなり。
下東藩
酈食其 漢の為に齊王に説て、東藩と称せしめ、軾に憑りて齊の七十余城を下す。 〇 四方の邦国は、京師に於て猶 藩屏のごとし。 〇 是の時、突厥・頡利の諸夷 中国を侵乱す。 魏(魏徴)(また)山東の地を安輯(平定)す。 故に、二句以て己が慷慨の志を叙ぶ。
鬱紆
盤鬱紆曲。
出没望平原
山路鬱紆の間より、故(ふるさとの)平原の出没するを望む。
古木鳴寒鳥 空山啼夜猿
悲凉(悲しくさびしい)の状(さま)
既傷千里目
望に応ず。
九折
坂道折曲。
陟に応ず。 〇 漢の王陽、益州に刺(地方官)たり。 九折の坂を過ぎるに、険を憚て之を去る。 孝を思ふなり。 後に王尊、益州に刺たり。 復(また)是の坂に至るに、馭を叱して之を駆す。 忠を思うなり。
深懐国士恩
戦国(戦国時代)の予譲の語。 魏の本伝(旧唐書、新唐書の魏徴伝)にも亦 是の言有り。
季布無二諾
史記の季布の伝に出づ。 *** (前述したように、この注は 出典を示すのみである。 下の注も同様。)
侯贏重一言
信陵君の伝に出づ。
人生感意氣
恩顧を謂ふ。
(なんぞ)と訓ず。
復論
通篇 毎句みな上を承け、下を起す。 味う可し。


らんだむ書籍館 ・ TOP
 2010年 9月 作成   小林 昭夫