家電リサイクル法への提言だけでなく、循環型社会を構築する上において、機知に富んだコメントだと思います。
具体的な点で、私と考え方が異なる点もありますが、根本に流れる考え方は、教えられることばかりです。
〜廃家電リサイクル法の国会通過に寄せて〜
廃家電リサイクル法は、衆院を通過し、予想以外の政変でもない限り、参院も通過し、今国会での成立はほぼ確定となった。この法案に対する評価は、社会的に置かれた立場、利害によってさまざまであろうが、中立的な立場からこの法案の成立にかかわってきた一人として、私なりのコメントを述べてみたい。
大量生産、大量消費、大量廃棄型社会から、持続可能な循環型社会への転換が21世紀を目前に控えた日本社会にとって不可欠の課題であることについては、おおむね社会的合意が得られていると言ってよいであろうが、その転換の道筋については、不透明な要素も多く、はっきりしたイメージが描かれているわけではない。様々な試行錯誤の繰り返されるなかで、多くの社会的な軋轢を、あるいは解きほぐし、あるいは痛みを分かち合いつつ、しかも一直線にではなくジグザグなコースを通って徐々に、時に急激に進行していくものと予想される。
このような意味において、この法律の施行も、法律をめぐるさまざまなコメントも、試行錯誤の一波、一泡にすぎないが、あえてコメントを述べる次第である。
この法案は先の廃棄物処理法の改正に基づいて構築を期待された処理システムの実効性が確保されず、いわゆる適正処理困難物の処理システムが円滑に運用されることが期待しがたいという視点に立ち、新たにリサイクルという原理を導入し、循環型社会への転換を試みようとするものであり、その意味では容器・包装リサイクル法の延長線上に位置している。製造事業者のリサイクル責任を明確に打ち出したことは、その当否は別として、従来の考え方から一歩も二歩も抜け出している。
ここに至るまでの関係者の熱意と努力には敬意を表しておきたい。
前置きが長くなったが、この法案が規定した内容について検討する。
第一点は、廃家電品リサイクルの責任を製造事業者(輸入事業者を含む)としたことについてである。責任主体を明確に示したことは大きな前進といってよい。今日社会的な経済主体の中で、企業は大きな特色を備えている。個別企業ごとの成果が明らかになるので、企業はその持てる資産(人材、情報、資金、組織力)を投入して、リサイクル責任を果たすための努力をするに違いない。そのことによって、循環型社会を目指す諸制度構築の中で、一つのモデルとなるような制度をつくりあげるであろうという期待がもたれる。しかし、企業努力では如何ともしがたい、社会的な壁、限界が露呈する恐れがないとはいえない。具体的なリサイクルの内容や、水準を抜きにこの問題を論ずることは困難だが、リサイクル費用の負担を消費者に求めるというスキーム、リサイクル処理を実施するに当たっての既存再資源化事業者との関係、自治体の協力姿勢などには、リサイクル責任を企業に一元化したことに伴う、さまざまの限界が露呈し、加えて、リサイクルの困難性が浮上してくる可能性は否定できない。
筆者は、循環型社会の形成には、なによりも、消費者(家計)、企業、行政(財政)という三つの社会的主体の間の緊密な協力関係の構築が、成功をもたらすための重要な条件の一つだという認識に立っており、この点では法案には多くの不備があるように思われてならない。消費者の協力に関しては法律表現の許すぎりぎりまで、詰めが行われたと聞いてはいるが、今の所、消費者の全面的な協力が得られる保証はない。地方自治体に対しても、より広く、より深い役割分担の規定−むしろ部分的な責任規定−を設けるべきだと考えるが、現行法制度の下では、廃棄物処理が地方自治体固有の業務であるだけに限界があったとされている。
しかし、まさにこの点に、問題の本質が現れているのであって、そのような現行の法体系を突破しないで、果たしてこの大転換が実現可能なものか、一つの本質的な問題点ではないだろうか。
第二の点は、前項でもふれたが、リサイクル費用の負担を消費者に求めた点である。新聞等には「費用はメーカーが負担すべき」との投書が見られるなど、世論の反発が予想されるし、製造事業者の間にも必要にして十分な費用の徴収を疑問視する声がある。現在の段階では、消費者の納得が得られる範囲、廃家電品一台当たり、2,000〜3,000円、トン当たり、7〜9万円の範囲で、消費者に負担を求め、その範囲の中で実行可能なリサイクル水準を決定するしかないだろう、とする考え方が最も有力視されているが、そして、社会情勢の変化の中で、リサイクル水準の向上に努めていくという方向をみせているが、これとても全国レベルで周知徹底されていくには、かなりの歳月を要しよう。 この費用負担の問題については、何よりもまず、費用負担の原理を明白にすることが望ましい、と筆者は考えている。リサイクル費用を排出の時点で消費者が負担するか、メーカー負担が望ましいか、あるいは税金の投入=公的支出に頼るべきなのか、という、費用負担の選択肢をめぐった議論があるが、メーカー負担とはいっても、それは売価に反映され、当該新製品購入者の負担となるし、公的支出もまた納税者の負担であることは論をまたない。個々の選択肢について、メリット、デメリットに差異はあるが、−例えば、公的資金の投入は不効率である、メーカー負担は排出者に廃棄抑制のインセンティブをもたらさない、等−所詮は、国民の負担であることに変わりはない。
この費用負担の原理が明瞭になれば、循環型社会構築という視点に立った時に、どの選択肢を採用するのが望ましいか、という問題の立て方になる筈であり、このように問題が立てられさえすれば、合意形成はさして困難ではない。
筆者は三つの選択肢のうちの一つに偏ずべきではなく、三つの費用負担方式を組み合わせた形での、関係者全体の納得の得られる方法が模索されてしかるべきではないか、と考えている。
第三点は、再資源化事業の育成についてである。循環型社会の構築という目標にとって、再資源化事業の育成、強化は最重要課題の一つであると思われるが、この点に関して法案がふれている点は決して多くはない。衆院の付帯決議に、きわめて抽象的にはふれられているようであるが、この際、廃家電品のリサイクル事業者(既存と将来とを問わず)に対し、税制上の優遇措置を中心に可能な限りの政策的支援策を法案とは別個にであっても打ち出すべきではないか。
現状では、製造事業者とリサイクル事業者の関係を、どのように構築していくかに関しては、全く暗中模索といってよいであろう。理論上の選択肢としては、製造事業者自身がリサイクル事業に全面的に参入する、既存の事業者、新規の事業者と合弁で実施する、製造事業者はリサイクル技術の積極的供与にとどまり、既存・新規事業者にリサイクル事業を委託するなどの案が浮かぶが、この関係構築については、製造事業者の創意・工夫に待つとされているようで、手懸かりさえ与えられていない。これらの関係構築に当たっては行政の指導・助言、場合によっては調整も必要になろうかと思われるが、法案はそのことにふれていない。
第四点は、リサイクルチャネルの構築に、市場メカニズムを導入し、リサイクル費用の低減を図ろうとする考え方についてである。このことは条文上は全くふれられていないが、立法過程ではかなり熱のこめて論議された。しかしながら、この市場メカニズム導入によって、ある範囲内の効果は期待できるにしても、それを越える効果を期待するならば、結果的には裏切られることになろう。例えば、リサイクル事業への新規参入者の増加、費用低減のためのリサイクル技術の開発などを促進する効果は、かなりの程度期待できるが、それ以上の効果は期待できないといってよい。
この議論で最も欠けている点は、動脈産業における市場メカニズムと静脈産業における市場メカニズムの類似点と相違点とが明瞭にされないままに論議が進行したことである。
動脈産業における市場メカニズムは、消費の量的・質的変化が、価格・数量の変化を惹起し、消費から生産へと、段階的にわたる取引関係を経て、生産内容を量的・質的に変化させ、結果的には“見えざる手”の作用により、資源の最適配分が可能となる。しかし、静脈産業においては、リサイクル事業によって生み出された製品はピュアー製品と競合関係にあり、かつ、その消費は自由放任の状態にある限り、質的・量的な変化は期待できない。つまり動脈産業における消費のような自立的拡大は全く期待できないものである。
一方、静脈産業における資源とは廃棄された製品そのものであり、これはまた自由放任の下では、増大の一途をとげるのみである。
このように、資源・生産と消費の内容が、動脈産業と静脈産業では全く異なっており、今日の経済学的知見は、静脈産業の市場メカニズムについては全く論じられておらず、皆無に等しいのである。筆者は、このように理論的解明を抜きにして市場メカニズムの静脈産業への適用が、かなりの効果を期待できるとする主張は百害あって一理なし、と考えている。
以上の四点以外にも、多くの論点があるものとは思うが、筆者が廃家電リサイクル法との関連で重視している論点は以上の通りである。
最後に強調しておきたいことは、既存の法体系や社会的諸理念を乗り越えない限り、循環型社会構築への有効な手法は見出せないであろうということであり、技術分野におけるブレイク・スルーに匹敵するような、社会の壁を突破する理念が求められているのではないか、という点である。廃家電リサイクル法に、それを求めるのは酷だといわれれば、その通りだと答えるしかないが、この意味で冒頭に述べたように、循環型社会構築への一試行として、それなりの努力は望まれるものの、そのなかから、前進への教訓を引き出すことの大切さを強調しておきたい。
結論としては、関係された方々の、これまでの努力に十分の敬意を表すると同時に今後の期待を込めつつも、先の廃棄物処理法の改正や容器・包装リサイクル法と同様に、一定の前進は期待されるとしても、実効性には多くの問題点があり、循環型社会形成への一試行となる可能性が高い、と評価せざるを得ない、ということである。