1993年 9月出版の俳句集2冊目の「Yohaku」の巻末には、「東芝への惜別」という
一文を掲げた。今丁度3年後にここに「東芝情報システムへの惜別」を記載するのも因縁で
あろう。
私は勝手ながら、自ら定年を2年9ヶ月繰り上げて、9月末をもって定年後の再就職をしたい
と会社に申し出て、幸いにも会社のご理解と合意を頂いた。再就職先であるWink
Communica-
tions社は東芝が筆頭社外株主であり、当社を含む東芝グループにとって大事な仕事であるこ
とと、私の希望とが配慮されたのだと思う。ワイフは今一つすっきりしないようだ。東芝から
東芝情報システムに移った時には、何を好き好んでそんなことをするのかと二三日ろくに口を
きいて貰えなかった。今度は2度目だから、口はきいてくれるがあまりハッピーではないよう
だ。世の中の多くの人と同様私も平穏に定年を迎えられれば立派なのだが、いい年をしてまだ
それ程人間が出来てなくて、徐々に定年に向かって収束するのは嫌だ、自分の力に余るような
仕事を常に抱え、それをやり遂げた達成の喜びを味わいたいと、ついそう思ってしまうのだ。
東芝でも東芝情報システムでも、別に干された訳でも冷遇された訳でもない。間違いなく厚
遇を頂いた。仕事もある。最近では東芝情報システムで岡本社長初め仕事仲間からは大変よく
して頂いた。専務として敬意をもって扱われていると思う。社長室並みの部屋まで頂いた。た
だ東芝でも東芝情報システムでも、「この会社での私の仕事はおよそ終わった」「私が居れば
この会社の業績にプラスにはなるだろうが、大勢に影響はない」という思いが生じると社内外
に次の仕事を探したくなってしまうのである。「過去に働いた、貢献したのだから少しゆっく
りさせて貰うよ」という気分にどうしてもなれないのである。そう考えることが出来さえすれ
ば、私は東芝での高給と車付きの厚遇に身を委ねていたはずであった。損な性格かも知れない
が私の行動は変人は変人なりに首尾一貫しているのである。
「私の仕事は終わった」と感じさせることを責めている訳でもない。終身雇用・年功序列と
いう日本の制度の中では、年寄りは汚れ仕事から段々遠ざかる宿命にある。大会社の社長でも
この宿命から逃れることは出来ない。これは制度の故であって施策の工夫で補える範囲は小さ
いし、充分補って頂いて来た。
Wink Communications社は、テレビに双方向性を持たせるため東芝も関与しているInter-
Textプロジェクトなどにソフトウェアを開発供給する創立21ヶ月のヴェンチャ会社である。日
本の体制は今までゼロだったので私が日本支社の1号社員で、社長兼小使である。会社が成功
するかどうかも怪しいが、成功不成功に直接関与することが出来る。出来が悪ければ、翌日に
でもクビにされ得る雇用契約である。そういう環境に自分を追いつめて努力してみたいのであ
る。勿論成功の場合の報酬は大きい。言わば日本の雇用と正反対なのである。私の性格からす
ると、もっと早くこういう決心をすべきだったのかも知れないが、その度胸にも欠けたし、言
い訳をすれば摩擦なしに転職できる環境でも無かった。
今回この還暦の男を欲してくれた会社が3社(具体的)ー5社あり、そのどれにでも就職で
きた。有り難いことである。何事もこそこそやるのは嫌いな私だから、東芝にも東芝情報シス
テムにも、ガラス張りとは行かないがくもりガラス張りくらいには逐一ご報告しつつ検討して
きたので、会社にとっては意外ではない。ただ親愛なる東芝情報システムの仕事仲間にはおい
それと明示的に漏らすことも出来ず申し訳なかったと思っている。しかし私の言動・記述を注
意深く見て下さった方は私の考えは読めたはず、今にして思えばと思い当たる方も多かろう。
いずれにしても私は東芝で34.5年、東芝情報システムで3年間大変楽しく充実した日々を送
らせて頂いた。ただ感謝の他はない。行く手に蛇が出るか虎が出るか今は予想の外であるが、
何とかチャレンジしてみたいのである。それでこそ男の人生ではないか。