1995年下期の出来事

 1995年下期は、担当の応用ソフトウェアの本部がついに僅かながら念願久しい黒字を計上で
きた期である。組織が色々変わっているので言い方が難しいのだが、9期目の黒字化だと私は
思っている。下期の途中までは、黒字化は1996年度であろうと思っていたのだが、予想外の市
場環境つまり需要増に助けられて繰り上がったと思っている。ここで需要が減ったらまた赤字
転落かどうかで、需要増効果と体質改善効果が計れるはずだが、私の思考実験ではかなり体質
改善効果の方が大きいと思っている。本部全員の取り組み姿勢が変わり、かつ懸命に努力した
結果である。

 採算化達成を機に本部長を譲る時期と悟り、人事・体制に関して大変頭を痛めた。一時は続
投を言われたこともあったが、それでは幹部育成にも人心一新にもならない。結局4月には私
から見てベストに近い形で人事・体制が出来たのは幸いであった。

 期初に地方から本部に30名を受け入れた。個別に世話係をつけ、専用の技術講習会を開き、
特別に1人1台のWindowsマシンを渡した。また本部の情報処理技術者資格の取得を奨励する
一環として本部の有資格者数百名を額に入れてエレベータホールに掲示した。

 11月には米国に出張させてもらい、Venture Capitalist 5氏と意見交換してきた。商品発
掘を目的にはしなかったのだが、Actuate, Asymetrix, Baystoneという3つの商品に出会い、
うち2つはその後当社との関係が深まった。1年前に50名だったのが500名の会社になってい
たNetscape Communications社には仰天した。12月にはRemedy社との提携を新聞発表し、打率
十割で掲載して貰えた。3月には、Venture Capitalistを育てたいという意志の東芝の幹部に
言われて米国Venture Capitalistとのテレビ会議に出席した。Golden Gate Bridgeがスクリー
ンに映って臨場感もある。私の顔を見て"Hi !"と言ってくれた。

 2月に当社がインターネットプロバイダ事業infoPepperを始めたので直ちに入会した。シリ
アル番号6番である。3月には無理を言ってモニタとして個人頁を置かせて頂いた。面白がって
見てくれる人が国内外に居たから、少しはinfoPepperのPRには貢献したであろう。6月に正式
な個人頁サービスが始まるまで毎月内容を更新した。3月にやってきた百武彗星は生憎天候が悪
く一度だけ肉眼で、2度望遠鏡で見ただけで欲求不満だった。専らインターネットで、世界に
は天候のよい地方が多いのにとブツブツ文句を言いながら、写真を見てウップンを晴らした。

 自宅のパソコン群にCompaq Presario 528を加えた。実はDynabookだけでも各世代6台ある
のだが、CD-ROM時代になってCD-ROM機構組み込みのマシンが欲しくなった。3ー4年で買い替
えるに違いないパソコンに30万円も40万円もかけたくないので、格安品を探していたら、95年
11月のWindows 95とPentiumの出現で旧機種(Windows 95後送特約付き)が見る見る安くなっ
た。新機種発売直前のPresarioは78千円まで下がって姿を消したがその寸前で購入した。これ
を据置きで使い、移動用にはDynabookを利用している。


1995年10月 青一面松虫草に赤き蝶

1995年10月 一帯の葡萄熟せと鐘を引き

1995年10月 湖畔なる胡桃を剥きし指の黒さ

1995年10月 麗人の頬に映りし峰紅葉

1995年11月 エルカミノ パソコンショップの夜は長し

1995年11月 男体山見ゆ夕霧の故国なり

1995年11月 誰に見せるでもなく深山の紅葉かな

1995年12月 唐松の落葉香わし黄金道

1995年12月 冬晴や唐松の若芽既に赤し

1995年12月 厳しくも優し阿弥陀岳(あみだ)の雪化粧

1996年 1月 年初め確かに見たり栗鼠の影

1996年 1月 金だるま値切れどおやじ恵比寿顔

1996年 1月 雪の嶺凍てし湖畔の白かんば

1996年 1月 安堵せり水洗タンク氷解す

1996年 2月 凍てし道滑りて転ばずこの脚力

1996年 2月 事故車から離れて過ぎむ凍てし道

1996年 2月 里は春はるか白銀車山

1996年 3月 春兆や朝日眩しき通勤路

1996年 3月 震えつつインターネットへ春の便り

1996年 3月 雲の間に百武彗星霞みおり


当期の頁冒頭

次期の頁冒頭


1996年上期の出来事

 2年間担当した応用ソフトウェア事業の本部長を譲った。本部2分説・3分説色々ある中で
私も数カ月大いに悩んだが、結果的に理想に近い形になったと思っている。即ち本部は分割せ
ず表取締役に本部長をお願いし、有馬氏を副本部長に迎えた。開発取締役は全社のスタフ機能
強化の一環として全社の技術の要の位置で目ざましい活躍を始められた頃、ご縁があって東芝
ソフトウェアエンジニアリング(株)の社長に栄転された。一面残念ではあるがご本人のため
に喜んでいる。幸い以後もこの本部はスムースに運営されており、上下パターンで上期は再び
赤字転落かと危惧されたのに黒字に踏み留まっているのは立派である。6月には高橋取締役と
表取締役がそれぞれ常務取締役となられた。

 前本部長がウロウロしていては新本部長がやり難いはずだから少し引っ込んだ席をとお願い
したら、社長のご配慮で社長室並みの部屋を作って頂いてしまった。しかし人が入り難いかと
思ってフロアのどこからでも見える位置に緑ランプを設け、点灯している時は誰でもどうぞと
宣言した。

 私の役目の一つは、従来からその任にあって充分役目を果たせないできた「システム・ソフ
トウェア統括」で、3つの本部の経営に関して社長を補佐する。しかしライン長が一生懸命や
っているのを側から口出しするのは私の得意とするところではない。心配に思って相談に乗っ
たのは、国際関係、地方ソフトウェア事業との関係、プロバイダ事業の構造、システム商品事
業の新しい仕組みなどの特定分野、および本部間調整事項とトピックス的なものである。また
本部の雰囲気を知るために本部の内部会議に定期的に出席させて貰った。

 もう一つの私の役目は、社内のインターネット関連事業の推進である。既に1つの本部はこ
の分野で業界でも目立つ活躍をしていたが、他の本部は極端に言えば別世界の話だと思ってい
た。インターネットはもっと裾野の広いものだから全社の各本部がもっとインターネットに向
いた仕事をしないと世の中に遅れると考え、各本部から兼任者を募って週1回会議を開いた。
まず兼任者に個人ホーム頁作成を勧め毎週進捗をフォローした。次に兼任者が核となって各本
部で輪を広げ本部のホーム頁を作り、全社運動的に当社のホーム頁の大改訂を行った。ホーム
頁充実によるPRも目的であるが、それよりも頁作成運用人口を各組織に増やすことによりイン
ターネットに親しむ人口を増やし、各本部のインターネットアレルギーを除くことがもっと大
事な目的であった。インターネットに関する私のリベラリズムが幹部のお気に召さなくて最終
段階で大分大ナタを振うことになり、切られた頁の作成者にはご迷惑をかけたが、9月初めに
やっと世の中に発信できた。折しも各本部にインターネットがらみの色々な引き合いが増え、
良いタイミングであったと思っている。

 ソフトウェア分野でのニーズ増大が益々顕著な時期で、客先からのご要請も更に強烈になっ
たが、総量はこんなに増やして頑張っているのですがこれ以上は無理ですとむしろお断りした
り部分解でご勘弁頂くことに有馬副本部長が苦労した。単なる需給バランスの問題なら価格が
上がって解決するのが自由経済の基本構造だが、既に経済的に成り立たない手法を無理に成り
立たせようとする場合には対価では解決出来ないので、ババの押しつけ合いを演じることも稀
ではない。

 私は3月に還暦を迎えた。赤いチャンチャンコの代わりに赤いディアマンテを買うと言った
が、納車は5月になった。赤と言ってもダークレッドの落ち着いた色である。快適かつ安全に
スピードが出てしまうのが唯一の問題点である。前車ギャランは7年間で12万km、地球を3
周した。

 ワイフの親代わりの長兄が急逝した。長年教育者として奉職してきたが、戦争中は特攻隊の
隊長兼教官であった。「俺もすぐ行くから」と教え子を送りだした後自分も出陣するはずがす
んでの所で終戦で命拾いをしたので、教え子への約束を守らなかったことを生涯負担に思って
いた。それを個人頁に書いたら米人から「それを一生の負担に感じるとは俺も含めて大多数の
米人には理解できない」とコメントがあった。日本人にはこのコメントが理解できない。米人
の考え方は大体判っているつもりだった私にはショッキングであった。


1996年 4月 残雪を融かし目覚めぬ座禅草

1996年 4月 足軽し花毛氈の通勤路

1996年 4月 春寒や花の命の長き年

1996年 4月 武川なる千古の桜花盛んなり

1996年 5月 唐松に緑の豆粒芽生えたり

1996年 5月 知らぬ間に薫風に乗る新車かな

1996年 5月 買い求めし石楠花咲きぬ薄紅色

1996年 6月 阿弥陀岳の岩肌緑に衣替え

1996年 6月 盛んなる青葉の道はやや暗し

1996年 6月 咲き揃いしレンゲツツジや山の燃ゆ

1996年 7月 アクセルを緩めて聞かむ蝉時雨

1996年 7月 雨上がり俄かに起こりし蝉時雨

1996年 7月 時鳥寝息に混じる通夜の朝

1996年 7月 湖畔にはレンゲツツジの燃える道

1996年 8月 ファインダに止まれ撫子風の舞

1996年 8月 弥生人も愛でしか大輪大賀はす

1996年 8月 いざ行かむ夾竹桃の101(ワンオーワン)

1996年 9月 鰯雲 入道雲と交わりぬ

1996年 9月 もう一発ニアピン頼む秋の風

1996年 9月 倒れつつ支え合いしか蕎の花

1996年 9月 満ち足りて実りの大地を飛び立ちぬ