三宅島の災害記録


三宅島噴火と避難活動等の経過 2000年8月下旬〜9月

 新聞記事などにより池田晴哉がまとめた。

 ◎2000年8月24日から31日(全島避難活動始まる)

日付

時刻

三宅島関連の情報
8月23日   本日までの島外避難者は600人(15%
8月24日 午前6時33分 雄山で小規模噴火
灰白色の噴煙2200mまで上がる。降灰は少量(阿古地区)
  午前中 村は介護必要な高齢者8名を、ヘリコプターで都内へ避難させる。
村議会は都へ全島避難を要望。
村教育委員会は、全児童・生徒(327人)の島外避難決定。
    火山噴火予知連伊豆部会が開催
8月25日   都は児童等の受け入れ先検討に入る。三宅高校の受け入れは秋川高校(来年廃校)で検討。
都は都営住宅の空き室の無料提供を決定(原則3ヶ月。6ヶ月迄)。
都は噴石よけとして、下水管利用のシェルターを明日から設置。18箇所。(W 1.5m、L 2m、H1.8m)都は土砂災害対策検討委員会を設置。
    小中学生中心に150人が定期船で離島。飛行機で7人。
 村調べ 25日夜で950名離島(小中学生は211人)
8月26日   都と村は小中学生の島外避難を決定。高学年以上は秋川高校へ。
小3以下は、都営住宅から近くの学校へ行く。
村は児童生徒の避難後、70才以上の島外避難の検討開始。
8月26・27日   三宅島の二酸化硫黄放出量が大量になる。桜島クラスの濃度を測定。
8月27日   村教育委員と各校長(6名)が集団移転視察のため離島。
28日の秋川高校視察に230名が希望。
島民176人が定期船で離島。村調べ 全離島者は1335人
8月28日   都は秋川高校への小中高生の集団避難を31日と決定。
  午前10時〜午後2時 三宅島から放出の二酸化硫黄が神奈川・静岡・東京で臭う。
八王子で0.935ppm/時。環境基準の9倍以上を測定(南〜南東の風に乗る)
8月29日 午前4時45分〜5時40分頃 山頂より大噴火(水蒸気爆発)。カルデラ形成進む。火砕流発生。
噴煙は8000m以上。5000m迄は黒灰色、それ以上は灰色。北〜北東に流れる。火山灰は厚いところで15cm。朝の雨でぬかるみ、都道閉鎖7Km。
  午前6時10分〜 停電。島の1/4で停まる。
    政府が非常災害対策本部立ち上げ。
初会合。艦船の近海待機他決定。来週チーム派遣。
それを受けて都災害対策本部設立。(都知事は外遊中、帰国は31日)
    石原知事はクアラルンプールで記者団会見
「全島雛難の状況ではないと思う。島民は不安だろうから、都が最悪の事態に万全の備えをしていると伝えに行く。9月2日に訪問予定。」(日経新聞8月30日による。)
  午後 定期船で小中学生は全員離島 夕方到着。
136名と教職員94人(噴火で1日繰り上げる)。
  午後10時 都は、海上自衛隊に災害派遣要請
8月30日 午前4時24分〜5時 小規模噴火 噴煙2500m。朝から強い雨。
  午前11時45分 村は避難勧告。伊カ谷地区・阿古地区・三池や坪田の一部へ。
約800人が避難生活。約300人離島。半数が離島、残りは約1600人。

都は470戸の避難住宅を確保(66戸の入居決定)
  午後 竹芝桟橋の船で一夜を過ごした小中学生は秋川高校へ。共同生活開始。
    都は避難用チャーター船を竹芝桟橋へ。
海上保安庁は船舶1隻近海待機
海上自衛隊は掃海艇1隻 待機、護衛艦1隻 向かう。
夜中には心配された雨はふらず。
8月31日 午前7時45分 村は正午迄の一時帰宅を発表。
  午前8時15分 白い噴煙3000m
  午前 都災害対策本部は初の現地で会議。
(青山都副知事・警視庁・都消防庁・自衛隊他)
  午後 定期船で100人離島、残りは1500人。
  夕方 避難解除
都と村は降灰・噴石除去を進め、道路復旧を進める方針。
村の建設会社従業員80名に残島依頼。
    艦船等沖合待機
     火山噴火予知連絡会伊豆部会・見解発表
「29日未明の噴火で弱い火砕流が発生した。マグマが直接関与している場合は、将来、より強い火砕流になる可能性がある。温度30度、時速10Km程度の火砕流が、雄山の北東側と南西側の二方向へ流れた。北東側は海に流れ込み、到達距離は5Km.。
噴火は上昇してきたマグマが地下水と接触して起きた可能性もある。



 ◎2000年9月(一般島民の全島避難終了。避難生活始まる)

日付

時刻

三宅島関連の情報
9月1日 午前 白い噴煙 高さ1200m。小雨、小規模の降灰。
村が全島避難指示。朝の対策会議で決定。
「9月2日〜4日の3日間に、一般住民は島外避難を。すでに島外避難者には、2日〜4日の間のみ一時帰島を認める。」
  午後  都災害対策本部 午前会議 石原知事発言
「危険が増してきたとの認識を持たざるを得ない」
      避難には東海汽船使用。対象者は約900人。
都は避難者は渋谷の国立オリンピック記念青少年総合センターで受け入れ、その後都営住宅などへ入る。
9月2日 午前7時 村は正式に一般住民の全島避難を発令
  午後3時 東海汽船の定期船で順次避難(三池港)。バス10台で港に搬送。
残留者は警察官35人、消防150人と、防災やライフライン関係者の合計約600人。
乳牛10頭は貨物船で都畜産試験場へ搬送。
都のペット受付窓口で犬・猫を預かる。
   夜 第1陣 284名 竹芝桟橋に着く。(避難者は2700人)
船中泊。入居決まるまでは渋谷の青少年総合センターに。
    気象庁発表「地殻変動を観測。又、8月29日からの4日間で、20cm沈む(GPS島北部の観測点)。」
9月3日 早朝 雄山は早朝から噴煙。
  午後0時20分 雄山はから噴煙2500m迄上がる。
  午後 定期船すとれちあ丸で585人。(午後9時竹芝着)
漁船等で13人が離島。島内の戸別訪問は人出不足で出来ず。
    都が三宅島関連のホームページ開設。
http://www.islands-net.metro.tokyo.jp/miyakejima/

都が総合防災訓練「ビッグレスキュウ東京2000」を都内10カ所で開催。
自衛官7100人他25000人参加。航空機120機、車両1900台。反対集会もあった。
9月4日 午前8時 80人体制で島内パトロール。留守確認、施錠確認のステッカー貼りをする。
  午前9時 避難の小中学生始業式。
  午後2時50分 定期船は出航予定(高波で阿古港)。
残留者は417人。活動時間は午前7時〜午後5時。夜は最低限(100人)以外は、チャーター船かとれや丸で宿泊。対策会議も船内で。
    一般島民の島外避難が完了。

三宅村の東京事務所が、都公文書館4階に開設。業務は5日より。土日も含め午前8時半〜午後8時迄。
公団・都内市区町村より143戸の住宅提供あり。
9月5日 大雨で三宅島は泥流発生。三カ所。都道不通で保安防災活動は中止。
東電職員は三宅支庁へ避難。
  午前9時 三宅島発電所は停止。停電となる。監視カメラ、地震計などが停電でとまる。
自家発電は役場と支庁では数日間持つ。警察は発電能力低く、停電続くときは支庁へ移動。
NTTの自家発電は7日までしかもたず、各島の電話が不通になる可能性があると発表。(9月6日復旧。阿古地区以外は送電開始)
    都対策本部は保安要員態勢の縮小決定。118人が午後の定期船で離島。
6日以降も要員を減らす方針とする。
島内要員100名はこの夜も島で過ごす。
9月9日 午前9時半 青少年総合センタ-から130人退所。都営住宅等へ入居。
都は1800戸を用意。本日までに820戸入居。
    雄山は1100〜1800mの噴煙を上げている。
島内作業は再開。大雨で実質的には今日が2カ日目。



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