青木保『「日本文化論」の変容』(中公文庫)


ちょうど最近、青木保『「日本文化論」の変容 ー戦後日本の文化とアイデンティティ』と、吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学 ー現代日本のアイデンティティの行方』という、全くことなるタイプの研究者の、全く異なるアプローチによる、ほとんど同じテーマに関する本を読みました。そのテーマとは、現代の日本人におけるアイデンティティとは何か、そして日本文化の独自性とは何か、ということです。

それにしても、青木保氏と吉野耕作氏は、全く異なる経歴を持つにも拘わらず、ちょうど三月までは、同じく東京大学の教授だったというのもまた面白いですね。しかも両氏とも、出身は上智大学。青木氏は、上智大学卒業後、東京大学教養学部に入り直し、東大大学院を修了。その後は、タイの僧侶になり、タイの仏教生活を実体験氏、それから帰国後に、文化人類学研究者として日本の論壇を引っ張り、大阪大学で博士号取得。立教大学、大阪大学を経て、東京大学教授、そして現在は政策研究大学院教授です。他方で吉野耕作先生は、慶応大学卒業後、上智大学大学院、ロンドン大学大学院を経て、現在は東京大学教授。青木氏がタイでの仏教生活の実体験から、文化人類学を目指したのに対して、吉野先生は、ナショナリズム研究では、世界の最先端であるLSEでアントニー・スミスの下で学び、ジョン・ハッチンソンの文化社会学と、スミスの歴史社会学を吸収して、独自のナショナリズム理論を構築しているようです。

このように実に対照的なお二人ですが、どちらも最高に魅力的な研究をつくります。この『「日本文化論」の変容』も、あっとゆうまに読み終わる、面白い著書でした。この著書では、基本的にルース・ベネディクトの名著、『菊と刀』を日本文化論の出発点として、戦後日本における、日本文化論の受容の過程を、四つの時期に区分して、非常にわかりやすく論じています。全ての議論の出発地点がベネディクトの著書であるのは、それが日本人を論じることにより、アメリカ人を理解するための鏡を提供していることにある、ということだそうです。つまり、一方的な議論ではなくて、双方向的な議論。これは、1980年代に見られるような、一方的な日本批判、つまり「アメリカは正常で正義であり、日本は異常で間違っている」というような、一方的な議論を厳しく批判しています。つまり、日本文化論を論じるときには、決して感情的な偏見を前面にだすことなく、冷静かつバランスのとれた双方向的な視点で、日本のアイデンティティを論じねばならないということですね。

これは実は、国際関係を論じるときにも、決して忘れては成らないと思うのです。つまり、われわれ自身が、そういった一方的な視点かrあ日本を批判していないか。きちんと双方向的な視点で、他国を見ているのか、ということです。とくに、日米関係を論じる場合には、アメリカの視点から日本を批判したり、アメリカの声を代弁して日本の特殊性を批判する余り、「アメリカの特殊性」という視点が完全に失われてしまうのです。いわば、アメリカと日本の双方を、冷静かつバランスのとれた双方向的な視点で論じる必要があると思うのです。ですから僕は、一国主義的な外交史よりも、よりバランスのとれた視点での国際政治史、という視点にあこがれるわけですね。もちろん、冷静かつバランスのとれた、一国に注目した外交史も可能でしょう。

ともあれ、専門外の、知的な著書に出逢うのは、最高の楽しみですね。


(1999年6月4日)