秦郁彦『鋼鉄の激突 第二次世界大戦』(中公文庫)
秦郁彦氏といえば、歴史解釈をめぐる討論番組で有名になってしまいましたが、そもそもは豊富な資料を用いる実証的な歴史家です。秦氏の歴史観に共鳴するか否かをぬきにして、この『鋼鉄の激突』という本には実に色々と考えさせられました。
まず第一に、第二次世界大戦といえば、戦後世代の我々にしてみれば遠い世界のもので余り実感がありません。従って、どうも鉄と鉄がぶつかり合う、というまさに「鋼鉄の激突」としてのイメージがある。それは、冷酷な機械の支配する世界であり、人間をものともいわずに飲み込んでしまう。
しかしながら、実際は随分と違う部分もある。つまり、その鋼鉄の機械を動かしていたのは、矛盾し、困惑し、動揺する人間だったのです。この本では、そういった、戦場に於ける人間の葛藤を鮮やかに描くものであります。それはまさに人間のドラマであった。人間と人間の駆け引きであり、どちらの側にも人間があり、どちらの人間も色々と悩んでいた。
どうもナチスドイツというと、冷酷無情な機械的な「悪」の帝国、というイメージがありますが、確かにひどいことをしたには違いませんが、ヒトラーを別とすれば、下の方で働いているドイツ軍人は、当たり前ながられっきとした人間だったのですね。彼らは、自らの戦闘任務につきながら、色々と悩むわけです。その悩みは、実はイギリスやアメリカの軍人も、全く同様であった。従って、戦場においては、まさに似通った人間の間で戦争が行われる。これは、当たり前のようで、以外と気がつかなかった。「悪」の仮面をはげば、ドイツ軍人も、普通の人間なのですね。
しかもそういった戦場における人間は、実は現在の僕と同じような年齢なのです。彼らは、幼稚な発想を持ちながらも、極限状態で、過酷な条件をくぐり抜け、戦闘任務を果たした。そしてその多くは死んでいった。強さと弱さの両極端が、そこに見られるわけです。まことに恐ろしい世界です。そういった世界に、今の僕が突入したら、恐怖に圧倒されるのでしょう。もちろん、戦時中の彼らも恐怖に圧倒されることもありました。そういった、同じ目線で戦争を見ると、ずいぶん景色が変わってみれる。
イギリスに行くと、ロンドンに戦争博物館というものがあります。普通、こういったものは、軍人色々と支援しているため、どうも戦争や勝利を賛美する傾向があるのですが、さすがにクールなイギリス人だけあってか、実にクールに展示を行う。戦争の悲惨さや、極限状態や、また勇敢さや決断などが再現されている。実に、日本人にはなじみのない世界です。そういった、戦争という世界の現実感覚を完全に失ってしまった日本人は、反面怖い気もします。
(1998年8月7日)