石井修『国際政治史としての20世紀』(有信堂)

この本は、ここ数年で一番読むのを楽しみにしていたほんのひとつです。日本には良質な国際政治史のテキストが不在で、その意味でも、石井先生から「通史を書く」という話をお伺いして以来、いまかいまかと刊行を楽しみにしていました。

石井先生は、僕が最も尊敬する日本における国際政治史の歴史家の先生です。というのも、日本外交史、アメリカ外交史、イギリス外交史、フランス外交史、というように各国別では日本には多くの優れた研究者の方々がいらっしゃる一方で、「国際システム」や「国際社会」という大きな国際政治の構造を視野に入れて論じておられる方が皆無に等しいからです。もちろん、理論的な視点でそのようなことをなさる方はいらっしゃいます。しかし、歴史的なアプローチでそれをやろうとしている方は、細谷千博先生以来では石井先生ぐらいしかいらっしゃらないとも思えます。即ち、日本、アメリカ、アジア、ヨーロッパ、という多様な視点を総合した視野を持っている。その意味でも、細谷千博先生の後任の一橋大額のポストを石井先生が後継するのも理解できるような気がします。

石井先生のアプローチでもう一つ共感できるのが、アメリカ外交史研究者としては例外的に、イデオロギーという要素を相対化している点です。その点では、石井先生と僕は大きく理解を共にするところがあり、「戦後史からイデオロギーを取ったらどうなるか、結構おもしろいかもしれませんよ」とおっしゃっていました。実際に本書のあとがきでも、「しかし筆者は、『イデオロギー』は『国益』に比して副次的なものと考える」と、きっぱり言い切っています。そのような、議論のいさぎのよさが石井先生のひとつの魅力かもしれません。単調に思える中で、微妙な起伏を浮かび上がらせる手法が、プロフェッショナルな歴史家としての石井先生の真骨頂かもしれませんね。石井先生は、下品で派手な描写をあまり好まないようなので。

上記のような理由で、僕が「ヨーロッパ冷戦の起源、1945−46年」『法学政治学論究』の中で、1946年にイデオロギー対立が深刻化する様子を描写したときに、石井先生は御丁寧なコメントを下さり、そのような僕の論調にやや疑問を投げかけておられました。僕もそもそも、イデオロギーを国益と比べて相対的に副次的なものとみなしていたのですが、「幻想としてのイデオロギー」が、実際の外交イシューになる様子もまた、現実であるような気がします。副次的ではあるが、それは一般論であって、時には濃くなり薄くなる。そのように感じています。

本書の描写でやや残念なのが、これは石井先生にも申し上げたのですが、日本では註を入れた通史というものが書きにくいというところです。これは著者の責任ではなくて、あくまでも出版社の事情ということなのでしょう。イギリスでは、通史にはたいてい註がついています。そこで初めて、従来の研究と著者の主張の新しさをわけることが出来るわけですね。石井先生は、『冷戦期の日米関係』と、『国際政治史としての20世紀』という二つの例外的にすぐれた通史をお書きになられたわけですが、どちらも註がないのが大変残念なところです。読んでいて、「これは新しい!」と叫んだところで、その新しい史料がわからないのは、残念ですね。

それと、戦後の国際政治史が、アメリカ外交史中心であるところが、やや残念ですね。石井先生は、『1940年代ヨーロッパの政治と冷戦』や、「冷戦の55年体制」、「没落から再生へ、戦後ヨーロッパ50年」など、実に個性的で魅力的ないくつかのヨーロッパ国際政治史に関する論稿を書かれているのですが、それが本書の中で十分には描写されていないのが残念です。これもまた著者の責任というよりも、紙幅の関係ということになるのでしょう。戦後ヨーロッパ国際政治史に関しては、別のかたちでの著書が必要になるのでしょう。

「国際政治史」としてのアプローチには、国際政治学への深い造詣と、国際社会全体への視野、そして史料を丹念に読みとる歴史家としてのプロフェッショナリズムと、いくつかの素養が要請されます。石井先生はまさにそれを金揃えているように思えます。石井先生の論文に魅力を感じて、自ら「国際政治史研究者」を志したものとして、このような著書が書店に並ぶことは、本当に嬉しい限りです。



(2000年10月11日)